サンディエゴ日本人教会 San Diego Japanese Christian Church
『取るべき地はまだある』大倉 信 師 (bilingual message “There Is Still Land to Be Taken”, translation by Pastor Ichibei Honda)

『取るべき地はまだある』大倉 信 師 (bilingual message “There Is Still Land to Be Taken”, translation by Pastor Ichibei Honda)

September 20, 2020
チャールズ・ワグナーというフランス人の牧師は言いました。年をとることは悲しいことではないと言うことは難しく、そう言える人は、ほとんどいないでしょう。もし、あなたが過ぎ去った年月を取り戻そうと努め、髪が白くならないように、また目がかすみ、額にしわが寄らないようにしたいと思っているなら、確かに年を取ることは悲しいことです。
しかし、この世で最も美しいものの一つは、経験を積んでより寛容に、より優しくなった老人です。人間をその弱さにもかかわらず愛することができ、青年達をその若さゆえに軽んじない老人です。そのような人はストラディバリウスのバイオリンにたとえることができます。年を取るにつれてその音色は洗練され、その価値は百倍にもなります。そして、まるで魂を宿しているかのようになるのです。
『父母を敬うことは、神と自分を尊ぶこと』大倉 信 牧師

『父母を敬うことは、神と自分を尊ぶこと』大倉 信 牧師

September 13, 2020
私は齢を重ねるたびに血というものを意識するようになりました。この写真は7年前に私が韓国の家族を訪ねた時に私の兄と撮った写真です私が生まれた時に兄は既に成人しており、兄というよりも私の父親のような存在です。
私はソウルで生まれてから二年足らずで日本に戻り、日本人として育ちましたので、韓国で暮らす兄と暮らしたことはありません。しかし、私は彼と同じ血を親から受けているのです。そのことゆえに、見てお分かりのように兄の姿は、私のこれから向こう10年、20年の姿をはっきりと指し示しています。私がますますこの世界を照らすことになることは確実なのです。
実際のところ、兄と私は母違いの兄弟なのです。よほど父方の血が強かったのでしょう。血を受け継ぐ、血が繋がっているということは、こういうことなのかと思わされます・・・。
『日曜が変われば、生き方が変わる』大倉 信 牧師

『日曜が変われば、生き方が変わる』大倉 信 牧師

September 6, 2020

私が高校から大学の頃、日本はバブル経済のただ中にいました。日本がアメリカのランドマークのような不動産を買いあさり、世界の空港の免税品店には必ず日本人の店員さんがいた時代です。あの時代を象徴するCMが当時、流れており、私も高校生ながら口ずさんでいました。時任三郎が演じていた、リゲインという栄養ドリンクのCMです。売り文句は「24時間、戦えますか」でした。
あれから30年経ち、今日に至るまで私達は「過労死」「引きこもり」「バーンアウト」「ブラック企業」という言葉を生み、日本国では最近になって働き方の改革が見直され、休むということが注目され、最近になりますと定時になると会社の電気をすべて消して、従業員に帰宅をうながす会社があるというようなニュースも見聞きするようになりました。
かつての「リゲイン」のCMは今も健在のようです。しかし、そのキャッチフレーズが変わったようです「24時間、戦えますか」が「3、4時間戦えますか」と変わったのです・・・。

『全ての名にまさる名』大倉 信 牧師

『全ての名にまさる名』大倉 信 牧師

August 30, 2020

「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」(出エジプト記20章7節)
確かシカゴのオヘア空港だったと思うのですが、ゲートでサンディエゴ行きの飛行機への搭乗を待っていたことがありました。私が座っていたベンチの背後には食事がとれるようなテーブルがあり、そこでは4,5人の男達が大声で会話をしていました。彼らの会話には多くのカース(Curse:口汚い、罵りの言葉)が盛り込まれていました。そういう言葉を大声で、しかも誰にも聞こえるような場所でしゃべっている男達を驚き怪しむと共に、だんたんと彼らの言葉を聞いていることが不快になってきました。
彼らが口を開く時、そこには神とジーザス・クライストを罵る言葉が含まれていました。それは聞いているだけで、心がざわついてくるような言葉でした。困ったもんだなと思っていた、その時、私の側に座っていた女性がその男達の方に振り向き、強い言葉で言ったのです「子供も聞いているのだから、そのような会話はやめてもらえませんか!」。
確かにそのゲートには子供達もおり、彼らの会話はゲートにいる人達に聞こえるものでした。彼女の言葉は彼らと同じくらい、大きなものでしたので、周りの人にも聞こえたと思います。それを言われた男達、今度はバツが悪そうに、静かになりました。
私はその女性がしたことは正しいと思います。なぜなら、その言葉は私達の心に入り、私達の心を傷つけるからです。なぜ、傷つけるのか。私達は皆、神の子だからです。神の子でありながら、その父なる神についてひどい言葉を聞かされることは私達にとって屈辱なのです・・・。

『人が作った神々の姿』大倉 信 牧師

『人が作った神々の姿』大倉 信 牧師

August 23, 2020

『あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない』(出エジプト記20章4節、5節)
私達が目で見て、手で触れることができる神々は、ある朝、私達の前に出現するものではありません。それは人間の手によって作られるものです。それを作ることは骨の折れることですから、その製作者は水を飲み、食事をとり、疲れを感じながらそれを作ります。作るのは人間ですから、その日の朝、夫婦喧嘩をして、荒々しい心でつぶやきながらカンナをたたくというような時もあることでしょう。
彼らは木を育てるところから始め、その木を切り取り、その一部を薪として身を温め、それでパンや肉を焼いて食べて、残った木で神々を作り、そして、その神々に向かって言います。「あなたはわが神だ、わたしを救え」。預言者イザヤは彼が目撃した事実について、このように語り、最後にこう締めくくります。「あなたは木の端くれの前にひれ伏すのか」と・・・。

『天を相手に生きていく』大倉 信 牧師

『天を相手に生きていく』大倉 信 牧師

August 16, 2020

コロナ下、かつて日本で買ってきた本をあれこれ読んでいるのですが、ここ数年の間に買ってきた本を眺めていましたら、あることに気がつきました。それは、その時には気がつかなかったのですが、いつの間にか「50代をテーマにしている本」を私は何冊も買っていたと言うことでした。
おそらくそれは数度の訪日の度に買い求めていたものだと思われます。その当時、私は50を前に、自分の人生の節目を意識していたのではないかと思われます。折り返し地点を超え、残された年月をどう生きたらいいのか、世の中では50歳という年齢はどのように受け止められているのかという関心があったのだと思われます。
そして、あらためてこれらの本に目を通してみたのです。もちろん、どの本もそうですが、そこには同意できないことがあり、なるほどと思わされることが書かれていました。その中に「50を過ぎたら、もう他人からの承認は必要としなくともよい」と書かれていました。「人からの査定はもう終わり」だというのです。そうです、思えば若い時から長い間、いかに自分が人から承認されるか、評価されるかということに心を配ってきました。しかし、もうそのような舞台からは降りる時ではないかというのです・・・。

『健やかな教会になるために』大倉 信 牧師

『健やかな教会になるために』大倉 信 牧師

August 9, 2020

Soul Shepherdingという教会リーダーや教会の霊的状態をサポートするウエブサイトがあります。そのサイトによりますと、1050人の改革派、福音派の牧師に対してなされたアンケートで、彼らの100パーセント、すなわち1050人全ての牧師達がバーンアウト、教会の問題、道徳的な問題で牧師を辞任した同僚がいると答えています。
また70%の牧師がミニストリーを始めた時よりも低い自尊心の中に自分はいると答えていると言います。これ以外にも色々なデータがそこには記されているのですが、その数字はどれも事の深刻さをあらわしています。
神のあわれみにより、また皆さんのサポートとご愛により、私達夫婦はさいわい、そのようなぎりぎりのところにまで行ったことはありません。しかし、これらのことを実際に見聞きします時に、私達夫婦の心身を皆さんの前に、できるかぎり健やかに保ち続けるということは、私達が教会に対してできる第一のことではないかと思わされています。

『神の関与、それが力と慰め!』大倉 信 牧師

『神の関与、それが力と慰め!』大倉 信 牧師

August 2, 2020

「大きなことを成し遂げるために、
力をあたえて欲しいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。

偉大なことができるように、
健康を求めたのに、
より良いことをするようにと、
病弱を授かった。

幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧しさを授かった。

世の人の賞賛を得ようとして、力を求めたのに、
神の助けを知るようにと、弱さを授かった。

人生を楽しもうと、あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。

求めたものは、一つとして与えられなかったが、
願いは、すべて聞き届けられた。

神の御心に、沿わぬものであるにもかかわらず、
言い表せない私の祈りは、すべてかなえられた。

私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。」

『無名兵士の祈り』より

『露が消える時』大倉 信 牧師

『露が消える時』大倉 信 牧師

July 26, 2020

黄色いパッケージの「森永のキャラメル」を知らない日本人はいないと思います。その森永製菓の創業者は森永太一郎(たいちろう)という方で、彼は慶応元年、生家であった佐賀県伊万里市で陶器問屋の息子として生まれました。
24歳の時に商品を海外で販売することを目論見、妻子を日本に残して単身、渡米し、そこで出会ったクリスチャンのアメリカ人老夫婦からキリスト教に触れ、内村鑑三、新渡戸稲造を導いたメリマン・ハリス宣教師から洗礼を受けます。その後、一時、帰国しますが、再び渡米し、西洋菓子の製法を身につけ、帰国後、森永製菓を設立し、この会社は日本を代表する製菓会社となります。
森永製菓の商品の中に昭和5年に販売が始められた「マンナ・ビスケット」という幼児の離乳食があります。懐かしく思われる方がいるかもしません。このマンナの成り立ちと名前の由来が森永製菓のウエブサイトに掲載されています。
当時の日本は不況下にあり、世の中にはまだ乳離れした幼児が食べられるお菓子が何もない時代。そこで森永は子供が安心して食べられる栄養価の高いビスケットを開発しました。それがマンナであり、その名は太一郎が聖書に記されている神様がイスラエルの民に与えたマナという食物にちなんでつけられました・・・。

『心の断捨離』大倉 信 牧師

『心の断捨離』大倉 信 牧師

July 19, 2020
不思議なもので身の回りがすっきりすると心までもすっきりしたような気持ちになります。私はかつて「あなたの机の上の状態があなたの頭の中をあらわしています」と言われて「なるほど、そうかもな」と思わされ、以来、机の上を整えるようになり、確かに心も整理されているような気持ちになりました。 今日のタイトルは「心の断捨離」というタイトルです。その意図するところは文字通り、私達の心を整理しましょう。処分すべきものは処分しましょうということです。 「これは必要ないだろう」とゴミに出したものを、家族の者が見つけ、また元の場所に置かれていたなんてことを聞いたことがありますが、手放すことはなかなか簡単ではないことがあります。 それが靴とか雑誌なら私達の生活や人生に大きな影響を与えることはあまりないかもしれませんが、今日、私達が見ていきますことに関して言えば、それを私達が持ち続けていることは人生に影響があるだろうと思われることです。 結論から言いますと、そのことを解決することができなかったことがイスラエルの民、また彼らを率いたモーセすらも約束されていた土地、カナンに入ることをできなくしてしまいました。そう、そのことゆえに彼らの人生の目的は達成することができなかったのです・・・。

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