『成長し続けるために』大倉 信 師

August 5, 2018

種から芽が出て、やがて実が実るということを考えてみましょう。私の家では生ごみをコンテイナーに入れて、それを肥やしにして用いています。今年の春、そんな肥料を土に混ぜて苗や種を植えたのですが、それらの苗や種よりも力強く、生ごみとして捨てていたカボチャの種が芽を出し、今、大きなカボチャが実りつつあります。

自然界には神様が定められた法則というものがありまして、私達はこの法則にのっとって動いています。そして、それは私達の生き方というものにも当てはまるのです。その法則とは「よい土壌に蒔かれた種はやがておのずと芽を出し、実を実らせる」ということです。この法則にのっとって、このカボチャの種は芽を出し、実を実らせました。

そうです、私達が注目すべきことは、その種がどんな土壌に蒔かれたかということです。その土壌に十分な養分があるのなら、その植物は育ちます。しかし、そうでないなら、どんなに良い種を蒔いたり、苗を植えて、毎日、欠かさずに水を注いでも育つことがありません。まず肝心なことは土壌です。これは蒔く、植える前の成長の大前提です。

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『こうして神は私達を用いる』大倉 信 師

July 29, 2018

母の恩師で米田豊という先生がいました。この先生は東京聖書学院の教授として重責を担われ、東京新宿にある西落合教会という教会の牧師として生涯を歩みました。米田先生の生涯は苦難に満ちていました。先生には8人も子供がいましたが、その内の6人を亡くすという生涯で、昭和のヨブと人は先生を呼びました。

ある時、ある牧師の子供がまだ、幼児なのに亡くなりました。周りのいかなる人の慰めも力がありませんでした。

しかし、この米田先生が一言も言葉を言わず、ただ先生の肩に手を置いたそうです。それだけでその先生は大きな慰めと励ましを受けたというのです。

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『誘惑との戦い』大川 道雄 師

July 22, 2018

今日は大川道雄師がメッセージ『誘惑との戦い』を取り次いでくださいました。

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『タラントは埋めておかない』大倉 信 師

July 15, 2018

    目に見える成果が何も感じられない時。何の実りもないように思える時。確かに目の前に成果という実を見ることができないかもしれません。しかし、そんな日は目には見えませんが、やがて実が実る日がくることを信じて、目には見えませんが、地中深く根をはる時として信仰をもって受け止める。その時はまだ実りの収穫の時ではないと理解し、さらなる実りを得るために今は地中深く根をはる時なのだということを神様の視点は私達に教えてくれるのです。
    同時に常にではありませんが、物事がうまくいくというような時も私達は経験することがあります。その時は私達にとりまして心地よく、そのままその時が続いてほしいと願いますが、それもつかの間、打ち寄せる波のようにすぐにまた色々な現実に向き合います。
    「晴れている時こそ、屋根を修理すべきだ」という言葉を聞いたことがあります。晴れているから、その晴れ間を十分に楽しんだらいいでしょう。しかし、晴れているからこそ、その間に、必ずめぐってくる雨にも備える。晴れている時を賢く用い、雨が降る時にも備えるのです。

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『神の視点』大倉 信 師

July 8, 2018

スイスの哲学者、アンリ・フレデリック・アミエル(Henri Frédéric Amiel )は言いました「精神生活のない人間は環境の奴隷だ」"The man who has no inner-life is a slave to his surroundings."。なるほどど思います。私なりにこの「精神生活」を「神を心に留める生活」として、こう言い変えてみました「神の視点をもたない人間は環境の奴隷だ」。

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『神の栄光のために』大倉 信 師

July 1, 2018

今日、多くの若者が世界を放浪しています。かつては私もその一人でした。今から28年前、私はインドのプリ―という小さな漁村にいました。ツアー客が立ち寄るような場所ではない、それこそ一泊1ドルほどの宿にステイしていました。そこに数日いた時、なんと同じ宿に日本人のおじさんも宿泊していることを知ったのです。見たからに日本人なので話しかけますと、誰でも知っているような大きな企業を10日前に辞めて、一人で旅に出ているという働きざかりの50前後の方でした。深い話しはしませんでしたが、仕事を辞めて、こんな誰も来ないような所に仕事をやめて来ているその方と話しながら、色々と考えるところがあるんだろうなーとその時、思ったことを今でも覚えています。

そして、今、おじさんと近い年となり思うのです。きっとあの方は学校を出て、就職して、ふと、これからの人生について深く考えてしまったのではないかと。すなわち「この俺の人生は何のためにあるのだ」というような心からわきあがってくる問いかけに真正面から向き合ってしまったのではないかと思うのです。このようなことに考えがおよんでも、そのことを深く考えずに、素通りしてしまえば、その場を立ち去ることができたと思うのですが、彼はその内なる問いをごまかすことができずに、旅に出たのではないかと今、想像しています。

回りの者達は50にもなって、そんなことをするのは愚かだと忠告してくれたかもしれませんが、このおじさんは誰もがその人生で一度や二度は考え、しかしながら見て見ぬふりをしていることを、実際に探求すべく、リスクを承知で、旅に出たのです。このような思いは若い頃のみならず、齢を重ねていくにあたり、いいえ、その人生の晩年になっても私達の心のどこかに引っかかっていることではないでしょうか。

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『あなたの動機は何ですか?』大倉 信 師

June 24, 2018

アメリカにいて、もしかしたらいつか居合わせることがあるのではないかと恐れていることがあります。それはどこかで強盗と鉢合わせになるということです。もう、このようなことは大きなニュースにならないほどに、このサンディエゴでも時々、この事件は起きています。自分がよく行く銀行とか、自分が立ち寄っているコンビニエンスストアに強盗が入ったということは珍しい話ではありません。

思うのです。いつか銀行のデスクで必要なことを書きこんでいる時に、目の前の窓口で銃を突きつけてお金を奪おうとしている強盗に遭遇することがあるかもしれないと。言うまでもなく、その時の原則は強盗が望むものを全て渡すことです。もちろん、渡す理由はないし、渡したくないものです。しかし、渡します。なぜなら私には銃口が向けられているからです。銃口を向けられて恐れを感じない人はいないでしょう。恐れは私達が願っていない言動へと私達を駆り立てます。そして、その恐れは銃口を向けられるというようなことだけではありません。

人の目を恐れる人がいます。人にどう思われているかを恐れるのです。その恐れがその人の言動をコントロールします。本当はしたくないことなのに、本当の自分はそのような自分ではないのに、人の目を恐れて心にないことを言ったり、したりします。

イエス様は度々、出会う人に言いました、「恐れるな」。どんなに装ってみても、神の目に人は恐れを持つ者と見えました。恐れは確かに私達を動かす動機です。

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『あなたは偶然の産物ではない』大倉 信 師

June 17, 2018

もし、父親が自分の子供に「お前が生まれたのはたまたま偶然だったんだよ。そもそもお前の母さんと父さんが出会って結ばれたのも、あたりはずれのあるくじ引きのようなものだったんだ。いいか、お前の人生は全て運にかかっている。だからとにかうラッキーな人生を送ることができるようにと父さんは願っているよ」と子供に言い続け、またそのような価値観に基づいた生活を子供に見せ続けたとしたら、その子の人生はどうなるでしょうか。

きっと、その人生はこのようになる可能性が高いと思われます。偶然なのだから、それはギャンブルのようなものであり、そこには意味などはなく、故に万事、別にたいしたことがないのだから、努力するのも無駄、飽きたから、面倒になったから、もうこんなことは止めて、もっと楽な事、気持ちのいいことをしよう。言うまでもなく、このような生き方から良きものが生まれるはずはありません。

意識してこう考えて生きている人はあまりいないと思いますが、無意識の内に、心の底にこのような思いがあるのなら、今、お話したようなことが起きないと誰が言えましょう。いいえ、実際に今日の世界では、この全ては偶然という価値観から生じる人間の姿というものをいたるところで見ることができるのです。

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『私達に意味を与える神』大倉 信 師

June 10, 2018

かつてノースイースタン・イリノイ大学の哲学教授であったヒュー・ムアヘッド博士( Dr. Hugh Moorhead )は世界中の著名な哲学者、科学者、作家、そして知識人ら250人に手紙を書き、次のような質問をしました「人生の意味とは何でしょうか」。
そして、彼らの答えを一冊の本にまとめました。ある人は、その人なりの最善の見解を提供し、ある人は思いつきに頼らざるを得なかったことを認め、またある人は正直に全く見当もつかないと答えました。さらには多くの知識人たちがムアヘッド教授に対して、「もし人生の目的が分かったら教えて欲しい」という返事を書いてきたというのです。
誰も扇風機をモーターボートのエンジンにする人はいません。頭をとかすブラシで床をはく人はいません。バスタブの中で魚を飼う人はいません。これらのものにはしかるべき意味と目的があるように、私達の人生にも既に与えられている意味と目的があるのです。

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『最後に伝えておくべきこと』大倉 信 師

June 3, 2018

今日も私達はここから出て行きます。かつてイエス様は弟子達を二人づづ、町に送り出す時に言われました。「わたしがあなたがたを遣わすのは、小羊を狼の中に送るようなものである」(ルカ10章3節)。確かに小羊が子羊だけで出て行くのは危険、極まりないことです。しかし、私達には牧者がともにおられる。主イエスは私達の牧者です。この主と共にある限り、我らは狼を恐れる必要はありません。たとえ死の陰の谷を越えるようなことがありましても、私達は恐れません。このお方が共にいるのですから。このお方は私達を緑の牧場に伏させ、憩いのみぎわにともなってくださるお方なのです。

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