『現実的な状況で語られている言葉』大倉 信 師

September 30, 2018

時々、聞きます。「あの人には何の問題もなく、幸せそうでいいねー」。皆さんの周りにも、そのように思われる人達がもしかしたら、いるかもしれません。

「牧師」という仕事の一つは一見、そんな「何の苦労もなく幸せそうねー」と思われる方達の悩みを聴くことです。そして、そのような中で思わされていることがあるのです。それは人が抱えている悩みというものは決して他者が知り得るものではないといことです。

理想的な夫婦、親子だと人に思われていながら、しかし、現実は誰にも言えない悩みを抱えていることがあるのです。ですから、今は心に刻んでいます。「あの人には何の問題もなく、幸せそうでいいねー」などと誰が言えようかと。聖書の御言葉にあるように、私達は皆、自分の重荷を負いながら、日々を歩んでいるのです。

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『婚宴に備える教会』大倉 信 師

September 23, 2018

‟もし教会には偽善者が満ちているという理由であなたが教会に行かないのなら、教会は聖徒達が居並ぶ博物館なのではなく、罪人のための病院であるということを思い起こしてください”。

サドルバック教会の主任牧師であるリック・ウォーレン牧師はこんな一文をその著書に記しています。

「あなたは一生かかっても完全な教会を見つけることはできないでしょう。神がそうしておられるように、あなたも不完全な罪人たちを愛するように召されているのです」 (「パーパス・ドリブンチャーチ」)

『イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです』(イエス・キリスト)

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『世に勝つ者はだれか?』大倉 信 師 | Bilingual Message “Who Will Overcome the World?” Rev. Makoto Okura

September 17, 2018

子供達、若者達、これからの皆さんの人生は時に心が揺さぶられるでしょう。なぜなら、皆さんはこれから色々なものを見聞きすることになるからです。

皆さんよりかっこいい人、かわいい子、皆さんより足の速い子、皆さんより成績のいい子、皆さんよりクールなスニーカーをはいている子、きりがない。あのスパイたちが敵は自分達をいなごのように見ていると言ったように、自分が友達からどう見られているか、これらのことは君たちの人生につきまとうでしょう。

皆さんはこれらのことに振り回されて人生の大半を過ごすことになるかもしれません。そうです、皆さん自分の人生をコントロールするのではなくて、これから見聞きするものが皆さんの人生をコントロールする可能性が大いにあるのです。

大人の方々、日々の職場で見る光景はいかがですか。ストレスで胃が痛くなるということもありますでしょう。かつては若々しかった私達の肉体の変化を私達は目の当たりにしています。親しい友人がここ数年、何人も亡くなってしまった。齢を重ねるということは、力を失う自分の姿を見続けるということです。これら私達がいつも見ている光景に対して私達は何を考え、どのようにそれを受け止めるのでしょうか。

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『重荷はこうして負います』大倉 信 師

September 9, 2018

重荷を負うということは簡単なことではありません。しかし、私達は荷を背負い続けることが求められ、その荷の重さに押しつぶされないことが期待されます。その荷を降ろしたり、誰かに委ねたりすることは、その荷の重さに屈してしまうことで、「この人は責任や義務が果たせなかった」と評価されることを私達は恐れています。

それよりも、それらの荷を負い続けてゴールインするということが美談として、語り継がれ、そのように生きた人生は称賛される傾向があります。

荷を降ろすことを私達はとまどいます。なぜなら「降ろした」後にどんなことが待ち受けているかを私達は知らないからです。そして「降ろす」ということは、たとえ荷を下ろしても、その荷はそこにそのままあるわけで、それでは何の解決にもならないと私達は思うからです。

さらには荷を降ろすことは時に、私達の「プライド」が許しません。そうすることにより、人からどう思われるかと私達は考えます。「この荷は耐えられない」と明らかにすることは、自分の敗北を認めることと思われ、それは私達のプライドが許さないのです。

ここまで、荷を「おろす」か「おろさない」か二つの選択肢をお話ししました。私達は何か問題にぶつかりますと、その視野がとても狭くなる傾向があります。そうです、この問題の解決に対して「あれか、これか」と二つの選択肢しか私達は考えられなくなることがあるのです。

しかし、皆さん、私達が抱える問題の多くは本来「あれか、これか」というようなものではなくて、その解決のためには「あれか、これか、それともこのことか」と第三、第四の道があるものです。

ゆえに、今日は私達が日々負っている荷について、私達が取り得る第三の選択肢について聖書が記していることをお話しします。

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神に喜んで頂く生き方』大倉 信 師

September 2, 2018

沖永良部という離島の教会におりました時、その島ではじゃがいもを生産・出荷していました。その季節になりますと「これが今年の初ものです」と言って島の人が届けてくれました。私達が何かをいただく時、それが「初もの」であると聞くと、喜びと感謝がさらに大きくなります。

それは初ものが特別おいしいということよりも(確かにそれもあるでしょうが)、自分の畑で獲れた最初のものを手にした時に、その方が私達の顔を思い浮かべてくださって、「これはあの人にまず食べてもらおう」と思ってくれた、それが私達は嬉しいのです。私達はその方の心に感謝し、それを心から喜びます。

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『神を遠くに感じる時』大倉 信 師

August 26, 2018

私たちが現実の世界を見ます時に「なぜ、自分や家族、あるいは親しい友にこんなに辛く悲しいことが起きるのだろうか」という事に向き合うことがあります。

ヨブ記の主人公、ヨブもそのような境遇に置かれました。聖書によると、彼の人となりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかっていました(ヨブ1章1節)。そんなヨブは、ある日を境に全てのものを失いました。すなわち、彼の豊かに祝されていた全ての財産、彼の10人の子供達、妻との信頼関係、そして果てには、彼は自分の健康をも損ない、これらと共に、それまでの自分の名声をも全て失いました。信仰深く、人々から一目置かれる素晴らしい人格も備えていたであろう、このヨブにこのようなことが起きたということを私達はどう受け止めればいいのでしょうか。

「神様が遠くに感じられる」。こんなことを感じた方、いないでしょうか。もしかしたら、今、そう感じている方がいるかもしれません。今日はこれらのことに対して幾つかのことを見ていきたいと思うのです。

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『神との友情を育む』大倉 信 師

August 19, 2018

イエス・キリストはかつて言われました。

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」(マタイ9章12節)。

キリストは「私は病人のために来た」と言われました。でも、私達は思いませんか、この言葉をそのまま受けとると、そうなのか、この世界には「病人」と「健常者」と二種類の人間がいるのかと。そして、大抵、私達は自分は健やかな者なのだと思うのです。

肉体的であれ、精神的であれ、病んでいる人と向き合う医師達が口を揃えていうことは、患者が自分は病んでいるのだということに気がつく、自分には治療が必要なのだということを自覚するところから治療は始まるということです。

「そんなことは当たり前だ」と私達は思いますが、けっこうこのことに気がつかない、自覚しない、いや、確かに病んでいても医師に会おうとしない人はたくさんいるのです。そして、当然、その間に病状はさらに悪くなってしまうのです。

もちろん、イエス様が言われている病人とは私達の肉体的な病を指しているのではありません。ここで主イエスが言わんとしていることは、たとえばこういうことです。「あいつには問題がある。こいつにも問題がある。あいつにもこいつにも、教えられなければならないことがある。指摘されて、直さなければならないものがあるのだ。でも、俺にはそのようなものはなく、自分の判断や、言動はきわめて全うなものだ」

確かに人は自己診断において自分は病人ではないと思うかもしれない。しかし、神の前に人は誰でも指摘されること、直さなければならないものがあるとイエス様はここで言っているのです。

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『私の友だから知らせよう』大倉 信 師

August 12, 2018

50年ほどの自分の人生を振り返り、また牧師として多くの方達の人生と接する機会が与えられている中で、気がつかされていることがあります。それは私達がその人生の中でなす「決断」の大切さということです。

誰もが毎日、何かしらの決断をします。「決断」と言いますと大げさに聞こえるかもしれませんが、今日はどの靴をはこうかと考え、一つの靴を選ぶというこも、ある意味、私達の決断でありましょう。

靴を選ぶことは重大なことではありませんが、私達が日々成す決断により、物事が動きます。その物事が動くことにより、私達はある所に導かれていきます。そんな決断を無数にして、今、現在、行きついてるのが今朝の私達です。そうです、私達は多くの決断に導かれて、今、ここにあるのです。そして、この私達の決断により、これからの私達の人生も導かれていくのです・・・。

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『成長し続けるために』大倉 信 師

August 5, 2018

種から芽が出て、やがて実が実るということを考えてみましょう。私の家では生ごみをコンテイナーに入れて、それを肥やしにして用いています。今年の春、そんな肥料を土に混ぜて苗や種を植えたのですが、それらの苗や種よりも力強く、生ごみとして捨てていたカボチャの種が芽を出し、今、大きなカボチャが実りつつあります。

自然界には神様が定められた法則というものがありまして、私達はこの法則にのっとって動いています。そして、それは私達の生き方というものにも当てはまるのです。その法則とは「よい土壌に蒔かれた種はやがておのずと芽を出し、実を実らせる」ということです。この法則にのっとって、このカボチャの種は芽を出し、実を実らせました。

そうです、私達が注目すべきことは、その種がどんな土壌に蒔かれたかということです。その土壌に十分な養分があるのなら、その植物は育ちます。しかし、そうでないなら、どんなに良い種を蒔いたり、苗を植えて、毎日、欠かさずに水を注いでも育つことがありません。まず肝心なことは土壌です。これは蒔く、植える前の成長の大前提です。

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『こうして神は私達を用いる』大倉 信 師

July 29, 2018

母の恩師で米田豊という先生がいました。この先生は東京聖書学院の教授として重責を担われ、東京新宿にある西落合教会という教会の牧師として生涯を歩みました。米田先生の生涯は苦難に満ちていました。先生には8人も子供がいましたが、その内の6人を亡くすという生涯で、昭和のヨブと人は先生を呼びました。

ある時、ある牧師の子供がまだ、幼児なのに亡くなりました。周りのいかなる人の慰めも力がありませんでした。

しかし、この米田先生が一言も言葉を言わず、ただ先生の肩に手を置いたそうです。それだけでその先生は大きな慰めと励ましを受けたというのです。

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