Episodes

Sunday Apr 30, 2017
『ホセア:神の愛とは』 大倉 信 師
Sunday Apr 30, 2017
Sunday Apr 30, 2017
夫と家庭を捨てて、自らの身を売るようになったゴメル。その妻、ゴメルを買い取り、自らの妻として受け入れ、愛したホセア。この夫婦の姿が私達に語りかけることは何なのでしょうか。
I can’t make you LOVE ME, but you can’t keep me from LOVING YOU….

Sunday Apr 23, 2017
『アモス:今もここにある飢饉』 大倉 信 師
Sunday Apr 23, 2017
Sunday Apr 23, 2017
私がカリフォルニアに来ました19年前、日本のスーパーに行きますとそこに置かれていた日本語の無料雑誌を全て家に持って帰り、隅々まで読みました。きっと日本語に飢えていたのでしょう。しかし、思い返せば今は当時のような日本語に対する飢え乾きはなくなりました。なぜならその後、インターネットの普及により、外国にいながら私達はいくらでも日本語に触れることができるからです。そうです、インターネットには言葉が満ち溢れており、こちらも口を通して入る食物と同じように、制限をつけないと溢れんばかりの情報で混乱してしまいそうです。そして、これだけ言葉が出回りますと、言葉の価値が失われてきているように感じるのです。しかし、聖書の言葉は今日もその価値を失うことはありません。失うどころかこの言葉によって今日も世界で無数の人たちがその言葉の中に真(まこと)を見出しているのです。

Sunday Apr 16, 2017
『復活のイエスが出会った人達』 大倉 信 師
Sunday Apr 16, 2017
Sunday Apr 16, 2017
今、抱えている問題が三年後に解決するのならいいでしょう。しかし死とは私達の人生の最後の最後まで保留されているものなのです。ということは生きる限り、この死の問題を抱えて生きるというこです。ですから、まず、この問題に対する解決と勝利を得て、人生を歩んでいきませんか。それでなくても人生の旅路において背負うものは重いのですから、死への不安とか恐れというものを背負ったままこの人生を歩むのはしんどいでしょう・・・。

Sunday Apr 09, 2017
『自分のことはわからない』 大倉 信 師
Sunday Apr 09, 2017
Sunday Apr 09, 2017
1970年代にイエホハナン(Yehohanan)という男の名前が刻まれた骨壺がエルサレムで発見され、それは約2000年前のものであることが分かりました。その骨壺には彼の骨が収められており、その中には釘がつきささった彼の足の骨がありました。
当時、エルサレムを治めていましたローマ帝国は犯罪を犯した者やローマに謀反を起こした者たちを十字架刑に処していました。紀元前71年のスパルタの反乱の時には約6000人もの人たちが十字架にはりつけにされたと言われています。おそらくこのイエホハナンも何かしらの謀反を起こして十字架刑を受けたのでありましょう・・・。このように当時、エルサレムにおいてローマ帝国主導による十字架刑が執り行われていたことは疑いのないことで、その刑を受けた者たちの中にイエス・キリストがおりました。

Sunday Apr 02, 2017
『エリヤ:体をないがしろにしない』 大倉 信 師
Sunday Apr 02, 2017
Sunday Apr 02, 2017
私が幼いころ、美容のために「卵の白身」を顔に塗ったり、喉の痛みが治るからと「ネギ」を首にまいている人がいましたが、最近は見かけません。「カスピ海ヨーグルト」や「ぶら下がり健康器」ははたしてどこにいってしまったのでしょうか。私達はこんな流行によって右に左に揺れ動きながら、自分の体に向き合っているのかもしれません。
何事もその「物」を造った人がその「物」の取り扱いを最もよく知っています。このことに従えば、私達の体についてまず目を向けるべきは私達の肉体を設計した設計者の取扱説明書に目を注ぐべきです。その取扱説明書を読むことができたら、そこには私達にとって一番、有益な自分の肉体とのつきあい方が書かれていることでしょう。そして、何を隠そう、その取扱説明書こそが私達の手元にある聖書なのです。

Sunday Mar 26, 2017
『ソロモン:頂点に立った者が見た光景』 大倉 信 師
Sunday Mar 26, 2017
Sunday Mar 26, 2017
イスラエル三代目の王、ソロモンは快楽、富、異性、これらを徹底的に求めました。彼にはそれらを徹底的に試みる財力がありました。そのような意味で彼はこれらのことにおいて山頂に立ったのです。その山頂に立てばきっと自分の心は満たされると思ったのです。
しかし、その山頂から見えた風景は彼が期待したものではありませんでした。彼はそこで何を見ましたか。彼はそこでそこにいたるまでの過去を、すなわち後ろを振り返ったのです。
彼は言っているではありませんか「そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みた」と。
そして、あらためて自分以外に誰もいない、そう自分以外に快楽、富、異性にこれほどに投資した者はいない、そんな一人として山頂で回りを見回したのです。その時に彼の心を支配したものは何だったのでしょうか・・・。

Sunday Mar 19, 2017
『安泰な時こそ、心を主に向ける』 大倉 信 師
Sunday Mar 19, 2017
Sunday Mar 19, 2017
昼寝から目覚めたダビデが王宮のバルコニーにやってきますと、水しぶきの音が聞こえてきました。目を向けますと、ある家の中庭で水を浴びている女性がいたのです・・・。
ダビデがいる王宮は多くの兵士によって守られている場所で、そのバルコニーはダビデにとって最も安全な場所でした。もちろん、彼はその場所で軍服を着、剣を帯びている必要もなく、それこそガウンを羽織って気を休めることができました。
しかし、その最も安全で快適な場所が一転、最も危険な場所となりました。その時、彼の心はどんな状態だったのでしょうか。そうです、私達は忘れてはなりません。ダビデも鼻から息する人間だということを。

Sunday Mar 12, 2017
『その日のために備える』 大倉 信 師
Sunday Mar 12, 2017
Sunday Mar 12, 2017
私達は日々、聖書に親しみ、神に祈り、神のみ思いを思う時を生活の中に確保しましょう。そのことにより、突如、私達の前にあらわれたジャイアンツ(大きな試み)の一撃から私達は守られ、逃れの道が備えられます。そのことにより、家庭を揺さぶるようなジャイアントの出現に対して最善の決断に導かれることを信じます。このようなことがコツコツとなされ、そこに神の御手がおよぶ時に、私達の人生は主にあって盤石なものとなっていくのです。今日も明日もコツコツコツコツ、主の御言葉に聞き、それを私達の心の糧としていきましょう。

Sunday Mar 05, 2017
『鼻から息する者』 大倉 信 師
Sunday Mar 05, 2017
Sunday Mar 05, 2017
私には信頼している人がたくさんいます。その方たちはいつも信頼に応えてくれます。皆さんもそのような人がおりますでしょう。このような方たちは私達にとって頼もしい方達です。しかし、私達は心のどこかに「人は完璧ではない」ということを認識していなければならないと思います。我々は悪気なく物事を忘れてしまったり、魔がさすようなことをしてしまったり、その日の気分や状況により感情にムラが出てきたり、自らの保身のために嘘偽りを述べたりすることがあるのです。それが鼻から息する私達です。

Sunday Feb 26, 2017
『神と家庭』 大倉 信 師
Sunday Feb 26, 2017
Sunday Feb 26, 2017
私にはこんな思い出があります。私がまだ小学生の頃、腕白盛りの時です。男の子ですから、プロレスが大好きで、金曜日の夜、そして土曜日の夕方に放映されているプロレスに熱くなり、いつも友達とプロレスの技をかけあっていました。とにかく子供というのはエネルギーの塊で、そんなプロレスへの情熱を学校で使い切ることができずに家に持ち帰りました。そんな時、父親がいれば息子の相手をしてくれるのでしょうが、私にはその父がおりません。そんな息子に対して母は私の四の字固めの練習相手になってくれました・・・。