Episodes

Sunday Jul 09, 2017
『私は福音を恥としない』 大倉 信 師 (日英両語 Bilingual Message)
Sunday Jul 09, 2017
Sunday Jul 09, 2017
今から25年ほど前にこの路傍伝道を日本一の繁華街、新宿で始めた宣教師がいました。彼は真っ赤なスーツを着て、新宿東口のアルタというビルの前のガードレールに立ち、福音を語りました。彼の場合、信号待ちをしている人達の、その数十秒の間に福音を早口で語ったというのです。通りをちょっと入れば、そこは歌舞伎町です。あらゆる人間があの界隈にはいます。夜になれば酔っ払いが彼にいちゃもんをつけたりします。
彼の名前は皆さんもよく知っているアーサー・ホーランド。アメリカ人の父と日本人の母をもつ宣教師です。ある時、一人の若者が路上に立ち止まり、この風変わりな宣教師の話に耳を傾けていました。その横に一人のビジネスマンが立ちました。そして、その青年にこう言ったのです「ああいう風に人目をはばからずに、確信をもって人に語ることができるものが君にはあるかい。俺はうらやましいなー、ああいうの」。

Sunday Jul 02, 2017
『神の愛の深さ』 佐藤 岩雄 師
Sunday Jul 02, 2017
Sunday Jul 02, 2017
今日はケンタッキー州のルイビル日本人教会より佐藤岩雄先生をお招きして一匹の羊を探し求める牧者なるイエス様の姿から「神の愛の深さ」というメッセージを取り次いでいただきました。

Sunday Jun 25, 2017
『驚くべき人の回心』 大倉 信 師
Sunday Jun 25, 2017
Sunday Jun 25, 2017
フィリップ・ヤンシー(Philip Yancey)という人がパウロのかつての生き方がどんなものであったか、彼が今の世界にいたらどんな風に受け止められていたかということについてこんなことを書いています。
「私はアムネスティ・インターナショナル(世界中で起きている非人道的行為を非難する団体)から送られてくる郵便物の中に、打たれたり、家畜用の突き棒でつつかれたり、激しい突きをくらったり、唾をはきかけられたり、感電死させられたりした男女の写真が載っているのを見ると、同じ人間にそんなことができるなんて、どんな類の人なんだと思う。そして、使徒行伝を読むと、そういう残虐なことが出来る類の人間に出会う。それは聖書中に書かれている使徒パウロである・・・」。

Sunday Jun 18, 2017
『見えるところによらず、信仰によって歩む』 大倉 信 師 (日英両語 Bilingual Message)
Sunday Jun 18, 2017
Sunday Jun 18, 2017
聖書の時代の人々には、たとえば今日、私達が向き合っている大気汚染とかサイバー攻撃というようなチャレンジはありませんでした。
しかし、今も私達が直面している問題、特にそれが自分の「心」と「体」に関すること、「人との関係」に関することでありますのなら、彼らも私達と同じ課題を抱えて生きていました。
そうです、彼らも私達と変わらずに日々、自分の目に見えるこれらのことに一喜一憂して生きていました。彼らも日々、自分の目の前を過ぎ去る出来事に心が揺さぶられました。

Sunday Jun 11, 2017
『ヨハネ:気質と性格は変わるのか?』 大倉 信 師
Sunday Jun 11, 2017
Sunday Jun 11, 2017
ヨハネは弟子達の間で一番、年齢の若い男でしたが、「雷の子」を意味する「ボアネルゲ」と呼ばれていました。先のマタイの「イスカリオテ」もそうですが、ニックネームとはその人の人となりを表します。私達が「雷の子」というニックネームから想像するヨハネの人となりはどのようなものでしょか。
南カリフォルニアでも年に数回、雷光と音を聞くことがあります。時にはすぐ側で雷光が天地を切り裂くような様を目的することがあります。あの天地を引き裂くような雷光の子と呼ばれたヨハネがどんな人間であったか私達はだいたい想像できます。ヨハネは年長者である他の弟子がそこにいようが、否、イエス様の前でも度々、雷が天地を引き裂くような激情を爆発させていたのでしょう。
はたして彼のこの気質と性格は変わるのでしょうか・・・。

Sunday Jun 04, 2017
『なぜ聖霊が必要なのか?』 大倉 信 師
Sunday Jun 04, 2017
Sunday Jun 04, 2017
牧師の仕事は私達の目に見えないお方を指さし、このところに私達が寄って立つべき人生がありますということを語り続けることです。皆さんの目の前に商品を置いて「さぁ、見てください、実際に手にとってみてください」とその商品を売り込むようなものではないのです。
もし、皆さんが牧師が語る聖書の言葉を通してイエス・キリストを信じる、2000年前にこの地におられたお方の言動を自分自身と関係のあることとして受け入れるのなら、それは人間の業ではありません。そこには聖霊のはたらきがあるのです。

Sunday May 28, 2017
『メモリアルデー礼拝メッセージ(日英両語)』 本多 一米 師
Sunday May 28, 2017
Sunday May 28, 2017
「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」
テモテヘの第二の手紙2章8節 (口語訳)
"Remember Jesus Christ, risen from the dead, descendant of David, according to my gospel"
2 Timothy 2:8 (NASB)

Sunday May 21, 2017
『ペテロ:キリストにあって失敗が益となる』 大倉 信 師
Sunday May 21, 2017
Sunday May 21, 2017
何かを選ぶとき、私達は大抵、少しでも最善のものを選ぼうとします。それは歯磨き粉を選ぶ時も結婚相手を選ぶ時もそうです。知っていながら事故車を買い求めたり、傷んでいるバナナを買い求める人はいません。会社で誰かを雇おうとする時もそうでしょう。入社希望者と面接をして、その中からその会社にとって一番、適した人材を私達は選びます。
2000年前に、イエス・キリストが考えていた計画は後にも先にも比類なきものでした。それは、この世界を変えようという壮大なプロジェクトでした。しかも 3年、10年、100年、300年、続けばいいというプロジェクトではなく、それまでの世界を全く変えようとするプロジェクトでした。
私達の常識はそのようなプロジェクトを共になそうとする同志を選ぶ場合、当然、そのことに関する専門知識や十分な経験やその人のバランスのとれた性格を考慮します。しかし、イエス様は驚くべきことに、そのようなことは全く範疇にないかのごとく、これらのものを全く有していない男達、いいえもっと言いますと、そのセレクションから一番、かけ離れていると思われる者達を 12人、選ばれたのです・・・。

Sunday May 14, 2017
『母の日:彼女の着物』 大倉 信 師
Sunday May 14, 2017
Sunday May 14, 2017
特攻隊で死んでいった若者達が最後に言う言葉は「おかあさん」だったといいます。私は父親ですが若者達が「おかあさん」と叫んだことに対して、確かにそうだったろうなと思います。そのことに対して異論はありません。自分が子供達に何をしているのか、母親が何をしているのかということを考えますと、君たちはその時、「おとうさん」ではなく、君たちはは「おかあさん」と叫ぶべきだと思うのです。このことに関してうまく説明はできませんが、それが父であり、男である私の心にある真実な思いです。

Sunday May 07, 2017
『ヨナ:神はこうして語られる』 大倉 信 師
Sunday May 07, 2017
Sunday May 07, 2017
私はよく神様にこう祈ります「どうぞ〇〇さんが今日、見ること、聞くこと、その生活の中に起きる出来事を通して、あなたご自身がが〇〇さんに語りかけてください。それらによってあなたの存在とあなたの偉大さに気がつかれますように」。主はみ言葉を通して語られると同時に、その日の出来事を通して私達に主の御心を示してくださるお方です。