Episodes

Sunday Feb 11, 2018
『私達、そしてユダヤ人の救い』大倉 信 師
Sunday Feb 11, 2018
Sunday Feb 11, 2018
戦後、日本の北陸伝道に赴いたアメリカ人宣教師は、自らが日本で過ごした半世紀の日々をこう語っています。「日本人がご飯の上に生卵をかけて、納豆を食べていることに驚きました。私の国では卵はスクランブルエッグで食べるもので、腐った豆を食べる習慣もありません。最初はこれらの日本の食事に驚き、勇気をもって口には入れたもの、慣れなくて身体を壊しました・・・。でも、今、私は卵かけご飯も納豆も大好きです」。

Sunday Feb 04, 2018
『神の熱心と私達の信仰によって』大倉 信 師
Sunday Feb 04, 2018
Sunday Feb 04, 2018
「熱心になる」ということは「自分がもっているものに強い確信」があるということであり、その自分がもっているものこそが圧倒的に優れていると考える傾向がありますので、人はそれぞれ違った考えを持っているとか、皆、それぞれが自分の置かれた状況の中を生きているといったことを忘れて、ただ自分の主義や信念だけを主張し、強引にそれを貫こうとします。
爆弾を体に巻きつけて自爆する過激な者達は、それによって犠牲となる人達の命、その人にも家族がいるというようなことを考えません。彼らは自分が信じていることにあまりにも熱心だからです。

Sunday Jan 28, 2018
『私達が人生の主(あるじ)なのではない』大倉 信 師
Sunday Jan 28, 2018
Sunday Jan 28, 2018
鶏は自分が世界の中心だと思って生きています。猫だってそうだと思います。よく、猫がゴロゴロいいながら、気持ちよさそうに人間の足に体をこすりつけてくることがあります。私はそんな猫に会いますと、こんなに自分にすり寄ってきて、何と甘ったれで、かわいいんだろうとかつて思っていました。
しかし、以前、見ていた動物番組であの猫の行動は自分のテリトリーに自分の体臭を刷り込んでいる動作であって、私達は何と甘えん坊でかわいいんだとろうなんて思っている時に、猫の方では、これで俺様のテリトリーが一つ増えたなんて思っているというのです。すなわち、その時、私達は木や電柱となんら変らないのです。このギャップは大きいです。この猫にとって世界の中心は自分自身なのです。
そして、それは私達もそうなのです。私達はとことん自分中心な存在であり、大抵、自分は正しいと思い、物事を自分をまん中において眺める傾向があります。

Sunday Jan 21, 2018
『イスラエルが証明すること』大倉 信 師
Sunday Jan 21, 2018
Sunday Jan 21, 2018
20世紀最大の歴史家トインビーは「ユダヤ人が存在していること自体が奇跡である」と言い、歴史哲学者ヘーゲルは「歴史は絶対的な理性によって導かれている」と言いました。
かつてイスラエルの外交官が「どうしたら神の存在を証明できるか」と問われたのに対して「我々、イスラエルの歴史を見れば、神の存在は証明できる」と言ったといいますが、まさしくその通りであることをイスラエルの歴史は私達に語っています。彼らの歴史を見て分かることは、それが偶然の産物なのではなく、確かに彼らの背後には絶対的な理性が存在しているということなのです。
「神なんかいない、そんなの人間が生み出した作り話だ」と思われる方は大勢います。しかし、学校で学んだ歴史年表を見てください。今日の朝刊を見てください。ただ見るだけではない、新聞の上にバイブルを、タイム誌の上にバイブルを置いて読んでみてください。そこにはこれまでの世界に、そして今も働かれている神の刻印がいたるところに刻まれているのです。

Sunday Jan 14, 2018
『私達が目指すべきところ』大倉 信 師
Sunday Jan 14, 2018
Sunday Jan 14, 2018
「野球選手になる」とか「この役職を得る」という私達の心からの願いと夢がかなわないと分かった時、私達は「神は万事を益としてくださるお方」だとは思いません。しかし、神が私達を導かれようとしているところは私達が「野球選手」になることでも「役職を得る」ことでもないのです。神は私達がこれらの目的に私達を導こうとされているのではなくて、神は別の目的をもっておられ、その目的に私達が到達するために万事を益としようとしているのです。

Sunday Jan 07, 2018
Sunday Jan 07, 2018
今日は英語部の本多一米牧師が「キリストにあって共に育つ」というタイトルでメッセージを取り次いでくださいました。

Sunday Dec 31, 2017
『忘れよう、忘れまい』大倉 信 師
Sunday Dec 31, 2017
Sunday Dec 31, 2017
自分の人生の年月を考えますのなら、私は生まれてからこの方、この命と共に 49年、生かされてきました。それは17785日です。17785日、私の心臓は数秒たりとも止まることなく動き続けてきました。その間に私は何本の箸や歯ブラシを使い古したことでしょうか。しかし、私の心臓は生まれた日から変わらずに動いています。
ここにいらっしゃる多くの皆さんの人生はこの日数以上でしょう。その中には色々なことがあったでしょう。もう、万事休すというようなことが何度もあったことでしょう。私の愛唱歌は「人生の海の嵐に」ですという方が何人もいるでしょう。そんな皆さんに誰も否定できない事実を申し上げます。それらの幾多の嵐を乗り越えて、それに飲まれ失われることがなかったから、皆さんは今、ここにいるのです。
確かに私の17785日の中にはたとえば述べ243日くらい眠れない日があったり、50日くらい涙を流した日々があったかと思います。しかし、そんな日々がありながらも、17785日、私は生きながらえてきたのです。自分が眠れなかった243日、涙を流した50日だけに心を奪われてはいけない。そこに住み着いてはならない。そうではなくて、それらをはるかに勝る日々、神の恵みとあわれみは私達に注がれ続けていたことを決して、決して忘れてはならない。なぜなら、それが私達が明日を生きる力の源だからです。

Sunday Dec 24, 2017
『人生という冒険のただ中にある方々へ』大倉 信 師
Sunday Dec 24, 2017
Sunday Dec 24, 2017
「アドベンチャー」は「アドベント」が語源となっていると言われていますが、これらのことを思いますときに、実際にヨセフとマリア、そして幼子イエスを取り巻く世界は、のんびりと平安に包まれているような私たちが普段、見慣れているクリスマスカードのような環境ではなかったように思われます。まさしく、そこには彼らを飲み込もうとする闇の力が彼らをおおい、そこから逃れるために、まさしく綱渡りのようにして、彼らは命がけの冒険をしたのです。
神がイエスの人生を託した親として選んだカップルは、まだ年若く、社会的には何の力もないヨセフとマリアであり、その誕生の場所として選ばれたのは小さな寒村、ベツレヘム、わが子の出産と引き代えにその命を失った母の涙と無念が今も残る村、貧困にあえぎ、出稼ぎに行き、そのところで夫と息子を亡くした女性達が落穂を拾いながら生きた村でした。明らかに人として、リーダーとしてバランスを欠いた狂気を宿す王のもとに、その彼の面子のためにもみくちゃにされながら、イエス・キリストは人として一番無防備な赤ん坊としてこの世に誕生したのです。これらのことは何を物語っているのでしょうか。
これらのことは私達が生きている、この地上の冒険に自らも身を置き、そこに自らも冒険者として生きるイエス・キリストの覚悟です。このご自身の出生についてイエス様は何も語ってはいませんが、この出生そのものが、私達に対する大切なメッセージなのです。

Monday Dec 18, 2017
Monday Dec 18, 2017
ユダヤ人は私達には想像ができないほどに系図を大切にする人達です。祖先がどんなに偉大であったかということを誇りとし、日々を生きる希望としている民です。そのような中でイエス・キリストはごまかしてでも隠しておきたい名前が連なる系図の中に自らの出生を置くことをよしとされました。そう、イエス・キリストは遊女であった者、異教徒であった者、姦淫の結果、生まれた者の家系に連なる者としてお生まれになったのです。このことは何を意味しているのでしょうか・・・。

Sunday Dec 10, 2017
『平和の君』大倉 信 師 (Bilingual Message "Prince of Peace")
Sunday Dec 10, 2017
Sunday Dec 10, 2017
80年代、私はテネシー州の片田舎のキャンパスにいました。周りには牛と馬ばかりがいるような所で、私の楽しみは校内にあるスチューデンドセンターで友達をつかまえては卓球とビリヤードをすることで、そこに設置されたテレビからは一日中、MTVが流れていました(いつもそこに入り浸っていましたので、私は80年代のアメリカンポップだけは全て聞き尽くしたと思います)。その時にほぼ毎日、私の耳に聞こえてきた曲は、既にその時にポップスターとなっていましたマドンナの「ライク・ア・バージン」や「マテリアル・ガール」でした。
そのマドンナに今から10年ほど前、ある女性キャスターがインタビューをし、色々な質問を投げかけました。一つ一つの質問に答えたマドンナに対して、最後にこんな質問が投げかけられました「これが最後の質問です。あなたは大成功を収めています。富も、美貌も、名声もすべて手に入れています。これ以上、何か欲しいものがありますか」この質問はマドンナにとって予想外だったようで、マドンナはしばらく考えた後にこう言いました・・・。「ピース・オブ・マインド」。