Episodes

Sunday Apr 22, 2018
『心を自由に保つ』大倉 信 師
Sunday Apr 22, 2018
Sunday Apr 22, 2018
クリスチャンになるということは、融通のきかない四角定規の人間になるということではないのです。
神から与えられている自由を存分に用いる者となるということなのです。

Sunday Apr 15, 2018
『アメリカに住む日本人として 』大倉 信 師
Sunday Apr 15, 2018
Sunday Apr 15, 2018
このローマ書13章を読む時に、ある方は「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである」と書かれているのだから、全ての権威に服従しなければならないと思われるかもしれません。確かにこの言葉はいかなる権威も神の権威によって存在しているのだから、その権威に従いなさいと言っているように思えます。しかし、こうなると色々な疑問がわいてきます。あのヒットラーが台頭したナチス・ドイツはどうなるのか。第二次大戦中に天皇が神格化され、信仰の自由が失われた、あの時の日本はどうなのか。
もし、明日からアメリカ合衆国が私達の信仰というものを制限してきたらどうするのか。神の権威のもとに許されて存在しているアメリカ合衆国なのだから、その権威に全て従うべきなのか。国が要求するのなら、私達の信仰も妥協していくのか。それが聖書が言っていることなのでしょうか・・・。

Sunday Apr 08, 2018
『生ける望み』【1 ペテロ1:3-7】大川 道雄 師
Sunday Apr 08, 2018
Sunday Apr 08, 2018
イエス キリストの復活を祝うイースター(復活祭)が終わりました。キリストの復活によって全てが変わりました。人はみなだれも希望(のぞみ)を持っていますが、でもそれは死んだらおしまい的なものです。聖書はわざわざ「生きた希望」といっています。
どうぞ、聖書のメッセージに耳を傾けて下さい。人は「望み」があれば生きて生けるのですから。キリストの復活は、信じるものに永遠の命、天国という「生きた望み」を提供します。イエス キリストがその見本です。これしか、私たち人間の生きる道はありません。私は12歳の時にそれを発見し、体験し、今日まで実感してきました。
キリストはこう言っています:「私は道であり、真理であり、命です」(ヨハネ14の6) この経験は、信じた今から始まります。酒を飲んだら人が変わる」とよく言われますが、キリストを信じる者は、聖霊によって新しく造り変えられ、神と共に歩み、永遠の希望に取り付かれ、永遠の命という路線を歩み始めます。
<聖霊の結ぶ実>は愛です。神の愛です。愛とは生き生きとした命のことです。ですから、人は死んでもよみがえるのです。神は地球を造ったように、天国を造り、準備しています。そのことは人の心の中から始まります。ハレルヤ!

Sunday Apr 01, 2018
イースター礼拝 『その時には完全に知るであろう』大倉 信 師
Sunday Apr 01, 2018
Sunday Apr 01, 2018
*録音の不具合により雑音が入っています、ご了承ください。
今は分かりませんがかつて日本の銀行は午後三時で閉店しました。そしてシャッターが閉まった銀行の中ではその日に取引きされた金銭が銀行員によって整理されているのだと聞いたことがあります。そうです、インターネットやカード決済がない時代、銀行のシャッターが閉まり、職員だけとなった銀行では、その日に預けられた現金が計算され、その日の取引きが帳面に記録されるのでしょう。でも、もしその最後に370円足りなかったら、それがピタリと合うまで帰宅することができない。そんな時に自分の財布の中から370円を足して早く帰ることがあるんだよなんて聞いたことがありますが、きっと、そんなことはないでしょう。あちこちを調べ、その足りない370円を見つけ出し、それらが加えられて、その日の帳簿の帳尻は合い、職員は安心して帰宅できるのです。
時に私達の人生の帳簿も私達の計算と合わないことがあります。このようなことは誰の人生にも一つや二つ、あるものです。そして、その時に私達は神を疑い、また神にたてつく事すらあります。しかし、私達は忘れていることがあります。この人生の帳尻は自分で合わせるのではなくて、それは私達の人生の営業時間が終わった後に神がその帳尻を合わせてくださるということです。そして、いつの日かその合わせられた帳尻を前に、私達は神をほめたたえる日が必ず来るというのが聖書の約束なのです。

Sunday Mar 25, 2018
『裏切られた同じ夜...』大倉 信 師
Sunday Mar 25, 2018
Sunday Mar 25, 2018
私たちにとって自分によくしてくれる人を好んだり、愛することはたやすいことです。害なく、悩まされず、益をもたらしてくれる人を受け入れることもたやすいことでしょう。
私達がしばしば使います「I love you」とか「I like you」という言葉はこのような人達に向かって語られます。そうです、これらの言葉は私達がその人の内に、その人を好きになるために値するもの、その人を愛するために値するものを、見出しているゆえに発せられるのです。しかし、自分を裏切る者、自分に敵対する者に対して、その愛を全うすることは至難の業です。いいえ、至難の業というより不可能であります・・・。

Sunday Mar 18, 2018
『神のはたらかれるスペースを確保する 』大倉 信 師
Sunday Mar 18, 2018
Sunday Mar 18, 2018
皆さんは「誰かに嫌な思いをさせられた時、実際に何かの攻撃を受け、それによって被害を受けた時どうしますか」。
これらのことに対して色々な対応があるのでしょうが、三つ、挙げてみました。
1 やりかえす。仕返しをする。
2 とにかく忍耐、我慢する。
3 全てを神に委ねる。
さぁ、あなたならどうしますか?

Sunday Mar 11, 2018
『神のあわれみによる勧め』大倉 信 師
Sunday Mar 11, 2018
Sunday Mar 11, 2018
私達日本人はあの第二次世大戦で「神」ということについて、負の遺産を持っています。その時に「天皇は神である」ということから「天皇は人間であった」という価値観が一日の内に全くひっくり返る経験をしていますから、「神」という言葉に対して強い警戒心があります。
以来、神は真剣にとらえるものではなくて、あまり深入りしないほうがいいという心理があります。何人もの人から聞いたことがあります。「最近、教会に行っているの」と親に打ち明けたら、「ためになる教えもあるだろうけれど、あまり深入りはするな」と言われたと。かといって私達は神の存在を人生から全く排除することもできずに(内心、恐れがありますから)、困った時の神頼み、必要な時の神頼み、一応、年に数回、義理を果たして、お参りしたりします。
ほどほどに義理を果たさなければならないという程度の神ならば、その言葉に従うことはありませんでしょう。それよりも自分で好きなように生きていって、苦しい時にだけ「頼みますよ」と言っていたほうが気楽でありましょう。気楽であるということは、私達が思う以上に私達がとても大切にしていることなのです・・・。

Sunday Mar 04, 2018
『神に喜ばれ、自分も喜ぶ』大倉 信 師
Sunday Mar 04, 2018
Sunday Mar 04, 2018
クリスチャンになるということは「歯をくいしばり、きよく正しく人生を生きること」、「聖書に書かれている様々な掟を一生懸命に努力して守っていくこと」というようなイメージをもっている方達がいるかもしれません。もし、それがクリスチャン・ライフであるなら、私はおそらくクリスチャンにはならなかったでしょうし、ましてや牧師になどなってはいないでしょう。私にはクリスチャンも牧師も務まりません。
いったい、どうしてこのようなイメージが伝えられるようになったのでしょうか。キリスト教は禁欲的なものであり、クリスチャンになった日から一切、楽しみとは決別しないといけないというようなメッセージが過去に刷り込まれてしまったのかもしれません。これはとても残念なことです。なぜなら、クリスチャンになるということは退屈なことではなく、それまで見える、聞こえるというようなことだけで楽しい、悲しいと言っていた平面的な人生に高さ、深さ、広さが加わり、違った視点で(言いますのなら神の視点で)自分の人生を見つめ、そこに生きることができるからです。それは人生というものを二倍、経験しているようなもので、この楽しみと喜びは決して小さいものではありません。

Sunday Feb 25, 2018
『あなたの体について』大倉 信 師
Sunday Feb 25, 2018
Sunday Feb 25, 2018
私達はクリスチャンであるゆえに霊的な事に関心を寄せます。しかし、霊的なことだけに目を向け、人は同時に肉体をも有しているのだということに心の目が閉ざされてしまうことがあるのではないかと思うことがあります。
時に私達は「あの魂をお救いください」とか「失われた魂のために」というように「人間」を見ないでその「魂」だけを見、「これだけの魂が救われました」。「魂を勝ち取りました」というようなことで一喜一憂をしているようなところがあるのかもしれません。
我々は「魂の塊」なのではなくて「肉体」をもつ神にかたどって作られた多くの過ちを犯す者、喜びで心満たされる者、健康を損なってしまう者、時には塞ぎこんでしまう、そんな毎日を送っている「人間」なのです。

Sunday Feb 18, 2018
『神の測りがたい知恵』大倉 信 師
Sunday Feb 18, 2018
Sunday Feb 18, 2018
私達は思います。クリスチャンだといったって世界の現実を見てみろ。もはや、そこにはクリスチャンが何を叫んでも届かないような大きな力があるではないか。周りを見回してもあまりクリスチャンはいないではないか。
このことは日本で暮らしていると特に実感します。学校の教室を見渡しても自分以外には誰もクリスチャンはいない。いいや、それはクラスだけではなく、学校の中に一人もクリスチャンがいない。職場においても同じ。近所においてもそう。統計に従うなら都会では100人に尋ねてやっと一人のクリスチャンに出会い、田舎においては1000人、2000人に一人というような確率であります。
信仰生活においてこのような現実の中に生きるということは大きなチャレンジをともないます。しかし、このような現実こそが聖書の世界で繰り広げられてきたことであり、このような状況の背後には神様の大きな御計画があるのです。
聖書を読んでいますと分かるのですが、聖書は一貫して「数が少ない」ということが敗北だとは言っていないのです。かえって少ない者達、力のない者達が勝利を得ていくというのが聖書の根底にあるメッセージなのです。私達は物事の全貌をつかむことができませんから、時に多い、少ないということで一喜一憂しますが、神様はそのような視点でこの世界を見てはいないのだということを私達は心にとめなければなりません。