Episodes

Sunday Mar 08, 2020
『こうして教会は(28):新しいチャプターに生きる私達』大倉 信 師
Sunday Mar 08, 2020
Sunday Mar 08, 2020

Sunday Mar 01, 2020
『こうして教会は(27):聖霊と信仰によって導かれる神の物語』大倉 信 師
Sunday Mar 01, 2020
Sunday Mar 01, 2020
『エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、その帰途についていたところであった』(使徒行伝8章27節―28節)
今日のメッセージでとりあげましたエチオピアにはユダヤ教を信奉しながら数千年来、自らをユダヤ教徒として暮らしてきた「ファラシャ」と呼ばれる人達が10万人もいました。
1975年にはイスラエル政府が彼らをユダヤ教徒(人)と認め、イスラエルへの帰還が始まりました。1991年5月にはエチオピアのメンギスツ・ハイレ・マリアムの独裁主義政権が崩壊する直前に、時のイスラエル政府は「ソロモン作戦」と称して、彼らを短時間でイスラエルに大量輸送して脱出させました。
その時のイスラエル首相のイツハク・シャミルはエチオピアからイスラエルの軍用機と民間機(エル・アル航空)を計35機使って、5月24日の10時から翌25日の11時までの25時間の間に延べ41回、両国の間、2400キロを飛行させ、約1万4000人の人々をイスラエルに帰還させました。これらの帰還により現在、ほとんどのエチオピア系のユダヤ教徒はイスラエルに暮らしているといいます。
なぜエチオピアにそれだけのユダヤ教徒がいたのでしょうか。その諸説の中にエチオピアの対岸にあるシバ国(現在のイエメン)の女王が紀元前10世紀にイスラエルのソロモン王と出会うことにより、この一帯にユダヤ教が伝わったということが有力な説なようです・・・。

Sunday Feb 23, 2020
『こうして教会は(26):神の物語の中に生きる』大倉 信 師
Sunday Feb 23, 2020
Sunday Feb 23, 2020
私達の教会のファウンダー達は1940年に最初の教会堂をサンディエゴに購入します。しかし、時、同じくして第二次世界大戦が勃発します。そのことゆえにカリフォルニアに在住している日系人は強制収容キャンプに入れられます。それはサンディエゴ日本人教会に集っている者達も例外ではなく、彼らは1942年から3年間、日系人収容所に入れられます。
想像してみてください。新しい教会堂が与えられ、さぁ、これからという時にもはや自分ではどうすることもできない世界の荒波に飲み込まれ、自由を失い、キャンプに収容される。自分の力の及ばない力によって願ってもいない場所に移される。
手に入れたばかりの教会の玄関には鍵と鎖がつけられ、いつ、その鍵と鎖が再び、解かれるのかも分からない。生活環境の厳しい収容所にいる自分達の行く末も分からない。この教会に通っていた兄弟姉妹はそのようなところを通りました。そして、そのことはあのエジプトでのイスラエルの民の日々を思い起こさせるのです。
そして、終戦を迎えます。その時、沖本牧師が当地で伝道を再開します。その年1945年、沖本牧師はキャンプから帰ってきた3人の教会メンバーと再び、この教会の灯を掲げたのです・・・。

Sunday Feb 16, 2020
『こうして教会は(25):足元に目を向ける』大倉 信 師
Sunday Feb 16, 2020
Sunday Feb 16, 2020

Sunday Feb 09, 2020
Sunday Feb 09, 2020
本日の90周年記念礼拝では、1991年から2000年まで当教会の日本語部牧師として務められた中尾邦三先生がメッセージを取り次いでくださいました。

Sunday Feb 02, 2020
『こうして教会は(24)回心にいたる道』大倉 信 師
Sunday Feb 02, 2020
Sunday Feb 02, 2020
皆さんはきっと多忙な毎日を送っていると思います。しかし、そんな皆さんにも時に内なる声が聞こえてくることがありませんか。「このままでいいのか」。「このことに手をつけないでいいのか」「この人との関係をどうするのか」・・・と。
家の中で、ちょっとカビ臭い匂いがします。車を運転すると気になる音がします。心臓の不整脈を感じる時があります。どれも、常に感じているものではなく、ある時、フッと感じるものです。内なる声も常に聞こえているのではなくて折に触れて、心に語りかけてくるものなのかもしれません。
そして、私達はしばしば、その内なる声をそのまま放置してしまいます。理由は色々あります。「忙しいから」。「今はまだ大丈夫だから」「面倒だから」・・・。
しかし、私達は知っています。家や車や自分の体について違和感を感じた方達が後々になって口々に言うことを。「あの時によく見ておけばよかった」「あの時に直しておけばよかった」・・・。

Sunday Jan 26, 2020
『こうして教会は(23)最悪の状況ではたらく神』大倉 信 師
Sunday Jan 26, 2020
Sunday Jan 26, 2020
私は今から27年前、ちょうどこの冬のシーズンに中国を一人で旅していました。その時に私は四川州の重慶という町にいました。今、肺炎で注目されている武漢という町を流れる揚子江を上流に向かい、上海から一週間かけて重慶にたどり着いたのです。
ユーラシア大陸の冬はとても厳しいものです。今でこそ経済発展の恩恵があるでしょうが、当時の中国はまだ貧しく人々は冬に炭で暖を取ります。これがよく話題になる中国の大気汚染の元凶と言われています。そんな空気を毎日吸い、食事もまともに取れず、私は心身ともに完全に打ちのめされていました。
寒さでこごえ、高熱があり、咳が止まらず、吐き気があり、「死ぬのではないか」と毎日、フラフラしていました。私が願っていたことは早く、温かいところに行きたい。そのために南に向かおう、タイに向かおうと思い、連日、駅に行って切符を買おうとするのですが、時は中国の春節、重慶の何百万もの人達が故郷に帰る帰省ラッシュのピークです・・・。

Sunday Jan 19, 2020
『優先順位が決める私達の人生』大倉 信 師
Sunday Jan 19, 2020
Sunday Jan 19, 2020
2019年、私が深く教えられたことの一つにこの「神こそが主である」ということがあります。「主は自分ではない」ということです。私の人生の主(あるじ)は私ではないのです。
このようなことは本来、最初から肝に銘じておくべきことでした。なぜなら、このことは私達の信仰生活の大前提となることだからです。それではなぜ、神こそが主なのでしょうか?
なぜなら、私は裸で生まれてきたということは否定できない事実であり、また私は裸で死んでいくからです。その始まりに自分がたてた計画や自分の力は全く関与していないのです。この命は100パーセント、神がくださったものです。
さらに言いますと、私は自分の力で一分たりとも生きることができない存在だということです。この命は神がくださったものであり、あと一時間の寿命があるとするのなら、その一時間も神がくださるものです。

Sunday Jan 12, 2020
『こうして教会は(22)天下にこの方以外に救いはない』大倉 信 師
Sunday Jan 12, 2020
Sunday Jan 12, 2020
イクイッパーカンファランスでは私よりもずっと若い方達に毎晩、メッセージを語らせていただきました。その多くは私の子供達の年齢です。この度、彼らに問いかけたかったことは「皆さんはどこに立って、これから生きていくのか」ということでした。
彼らにこう問うたのです。皆さんはこれからテレビのワイドショーやお笑い番組でひな壇に座っている芸能人が「ああでもない、こうでもない」と、番組から干されることがないように、互いに空気を読み合いながら、色々なことを語り合っている、その彼らの言動を生き方の土台として生きていくのか?そこに君たちの結婚生活の土台があるのか?そこに立って、君たちの子供達をこれから育てるのかと・・・。

Sunday Jan 05, 2020
『エマオの途上を歩く私たち』大倉 信 師 (Bilingual Message "Our Walk on the Road to Emmaus")
Sunday Jan 05, 2020
Sunday Jan 05, 2020
1989年、Back to the Future 2という映画が公開されました。マイケルJフォックス扮するマーティーが未来の世界にやってくるというストーリーです。当時、20歳の私はその未来の世界に驚きと期待を抱いたのを覚えています。
ところで皆さん、その映画が未来として設定していた日をご存じですか?その未来は2015年10月21日だったのです。
そう、その未来は私達にとりまして5年前の過去となりました。私達は映画のストーリーを追い越してしまったのです。どうりで年をとったわけです。
今、最新のiPhoneは何と呼ばれているのですか。iPhone10?iPhone 11?私にはわかりません。
私達の身の回りのものはどんどん変化します。どんどん新しくなるのです。しかし、変わらないものがあります。何ですか?私達、人間です。もちろん、年をとれば私達の肉体は変化します。しかし、私達の心は変わりません。エマオの途上の弟子達をHuman5と呼び、私達が Human9と呼ぶことはないのです・・・。