Episodes

Sunday Aug 23, 2020
『人が作った神々の姿』大倉 信 牧師
Sunday Aug 23, 2020
Sunday Aug 23, 2020
『あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない』(出エジプト記20章4節、5節)
私達が目で見て、手で触れることができる神々は、ある朝、私達の前に出現するものではありません。それは人間の手によって作られるものです。それを作ることは骨の折れることですから、その製作者は水を飲み、食事をとり、疲れを感じながらそれを作ります。作るのは人間ですから、その日の朝、夫婦喧嘩をして、荒々しい心でつぶやきながらカンナをたたくというような時もあることでしょう。
彼らは木を育てるところから始め、その木を切り取り、その一部を薪として身を温め、それでパンや肉を焼いて食べて、残った木で神々を作り、そして、その神々に向かって言います。「あなたはわが神だ、わたしを救え」。預言者イザヤは彼が目撃した事実について、このように語り、最後にこう締めくくります。「あなたは木の端くれの前にひれ伏すのか」と・・・。

Sunday Aug 16, 2020
『天を相手に生きていく』大倉 信 牧師
Sunday Aug 16, 2020
Sunday Aug 16, 2020
コロナ下、かつて日本で買ってきた本をあれこれ読んでいるのですが、ここ数年の間に買ってきた本を眺めていましたら、あることに気がつきました。それは、その時には気がつかなかったのですが、いつの間にか「50代をテーマにしている本」を私は何冊も買っていたと言うことでした。
おそらくそれは数度の訪日の度に買い求めていたものだと思われます。その当時、私は50を前に、自分の人生の節目を意識していたのではないかと思われます。折り返し地点を超え、残された年月をどう生きたらいいのか、世の中では50歳という年齢はどのように受け止められているのかという関心があったのだと思われます。
そして、あらためてこれらの本に目を通してみたのです。もちろん、どの本もそうですが、そこには同意できないことがあり、なるほどと思わされることが書かれていました。その中に「50を過ぎたら、もう他人からの承認は必要としなくともよい」と書かれていました。「人からの査定はもう終わり」だというのです。そうです、思えば若い時から長い間、いかに自分が人から承認されるか、評価されるかということに心を配ってきました。しかし、もうそのような舞台からは降りる時ではないかというのです・・・。

Sunday Aug 09, 2020
『健やかな教会になるために』大倉 信 牧師
Sunday Aug 09, 2020
Sunday Aug 09, 2020
Soul Shepherdingという教会リーダーや教会の霊的状態をサポートするウエブサイトがあります。そのサイトによりますと、1050人の改革派、福音派の牧師に対してなされたアンケートで、彼らの100パーセント、すなわち1050人全ての牧師達がバーンアウト、教会の問題、道徳的な問題で牧師を辞任した同僚がいると答えています。
また70%の牧師がミニストリーを始めた時よりも低い自尊心の中に自分はいると答えていると言います。これ以外にも色々なデータがそこには記されているのですが、その数字はどれも事の深刻さをあらわしています。
神のあわれみにより、また皆さんのサポートとご愛により、私達夫婦はさいわい、そのようなぎりぎりのところにまで行ったことはありません。しかし、これらのことを実際に見聞きします時に、私達夫婦の心身を皆さんの前に、できるかぎり健やかに保ち続けるということは、私達が教会に対してできる第一のことではないかと思わされています。

Sunday Aug 02, 2020
『神の関与、それが力と慰め!』大倉 信 牧師
Sunday Aug 02, 2020
Sunday Aug 02, 2020
「大きなことを成し遂げるために、
力をあたえて欲しいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。
偉大なことができるように、
健康を求めたのに、
より良いことをするようにと、
病弱を授かった。
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧しさを授かった。
世の人の賞賛を得ようとして、力を求めたのに、
神の助けを知るようにと、弱さを授かった。
人生を楽しもうと、あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。
求めたものは、一つとして与えられなかったが、
願いは、すべて聞き届けられた。
神の御心に、沿わぬものであるにもかかわらず、
言い表せない私の祈りは、すべてかなえられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。」
『無名兵士の祈り』より

Sunday Jul 26, 2020
『露が消える時』大倉 信 牧師
Sunday Jul 26, 2020
Sunday Jul 26, 2020
黄色いパッケージの「森永のキャラメル」を知らない日本人はいないと思います。その森永製菓の創業者は森永太一郎(たいちろう)という方で、彼は慶応元年、生家であった佐賀県伊万里市で陶器問屋の息子として生まれました。
24歳の時に商品を海外で販売することを目論見、妻子を日本に残して単身、渡米し、そこで出会ったクリスチャンのアメリカ人老夫婦からキリスト教に触れ、内村鑑三、新渡戸稲造を導いたメリマン・ハリス宣教師から洗礼を受けます。その後、一時、帰国しますが、再び渡米し、西洋菓子の製法を身につけ、帰国後、森永製菓を設立し、この会社は日本を代表する製菓会社となります。
森永製菓の商品の中に昭和5年に販売が始められた「マンナ・ビスケット」という幼児の離乳食があります。懐かしく思われる方がいるかもしません。このマンナの成り立ちと名前の由来が森永製菓のウエブサイトに掲載されています。
当時の日本は不況下にあり、世の中にはまだ乳離れした幼児が食べられるお菓子が何もない時代。そこで森永は子供が安心して食べられる栄養価の高いビスケットを開発しました。それがマンナであり、その名は太一郎が聖書に記されている神様がイスラエルの民に与えたマナという食物にちなんでつけられました・・・。

Sunday Jul 19, 2020
『心の断捨離』大倉 信 牧師
Sunday Jul 19, 2020
Sunday Jul 19, 2020

Sunday Jul 12, 2020
『それはあなたの戦いではない』大倉 信 牧師
Sunday Jul 12, 2020
Sunday Jul 12, 2020

Sunday Jul 05, 2020
『自由を右手に、左手に責任を』大倉 信 牧師
Sunday Jul 05, 2020
Sunday Jul 05, 2020

Sunday Jun 28, 2020
『利他の極み:十字架』大倉 信 師
Sunday Jun 28, 2020
Sunday Jun 28, 2020
先日、NHKの「緊急対談:パンデミックが変える世界 〜海外の知性が語る展望〜」という番組を見ました。その番組ではアメリカの国際政治学者、イアン・ブレマー氏、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏、そしてフランスの経済学者、思想家のジャック・アタリ氏がコロナ後の世界をどのように生きるべきかという見解を述べていました。
その中で特に印象的だったのが、ヨーロッパ最高の頭脳を持つと言われるジャック・アタリ氏のインタビューで、氏はパンデミックという深刻な危機に直面した今こそ「他者のために生きる」という人間の本来の姿に立ち返らねばならないと話していました。
このことこそが人類がこれから互いに生きながらえていく鍵であり、利他主義は合理的利己主義なのだとも言っていました。すなわち自分が感染の脅威にさらされないためには、他人の感染を確実に防ぐ必要があり、他国が感染していないことがイコール、自国の利益になるというのです。
アタリ氏がコロナ後の希望として語っていますこの利他主義ですが、実はこのことは神が天地万物を創造された時から自然界にインプットされている揺るぎないシステムなのです・・・。

Sunday Jun 21, 2020
『父親へのエール』大倉 信 師
Sunday Jun 21, 2020
Sunday Jun 21, 2020
22年前、アメリカに来て驚いたのはこちらの牧師達がいつも「家族、家族」と言っているということでした。私は牧師の子として日本で育ちましたが、牧師であった母にとりまして教会が第一であり、その後に家庭が続きました。住んでいる場所も教会ですから、私達の私生活も教会を中心に動きます。これゆえに時に牧師の子が多くの犠牲を払いました。
親達は全き献身者となるべく、家族を犠牲にして伝道牧会に没頭しました。残念なことですが、このことゆえに起きる問題というものを目の当たりにしたこともありました。私自身もその渦中にいたことがあります。
そんな所に生まれ育った者ですから「家族、家族」と言っているこちらの牧師達の姿には違和感を感じていました。「家族」がまさしく「水戸黄門の印籠」のようになっている、それを持ち出せば大抵のことは許されるこの国の土壌に、最初はとまどいを感じました。
しかしながら、興味深いことが日本で起きたのです・・・。