Episodes

Sunday Jul 12, 2020
『それはあなたの戦いではない』大倉 信 牧師
Sunday Jul 12, 2020
Sunday Jul 12, 2020

Sunday Jul 05, 2020
『自由を右手に、左手に責任を』大倉 信 牧師
Sunday Jul 05, 2020
Sunday Jul 05, 2020

Sunday Jun 28, 2020
『利他の極み:十字架』大倉 信 師
Sunday Jun 28, 2020
Sunday Jun 28, 2020
先日、NHKの「緊急対談:パンデミックが変える世界 〜海外の知性が語る展望〜」という番組を見ました。その番組ではアメリカの国際政治学者、イアン・ブレマー氏、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏、そしてフランスの経済学者、思想家のジャック・アタリ氏がコロナ後の世界をどのように生きるべきかという見解を述べていました。
その中で特に印象的だったのが、ヨーロッパ最高の頭脳を持つと言われるジャック・アタリ氏のインタビューで、氏はパンデミックという深刻な危機に直面した今こそ「他者のために生きる」という人間の本来の姿に立ち返らねばならないと話していました。
このことこそが人類がこれから互いに生きながらえていく鍵であり、利他主義は合理的利己主義なのだとも言っていました。すなわち自分が感染の脅威にさらされないためには、他人の感染を確実に防ぐ必要があり、他国が感染していないことがイコール、自国の利益になるというのです。
アタリ氏がコロナ後の希望として語っていますこの利他主義ですが、実はこのことは神が天地万物を創造された時から自然界にインプットされている揺るぎないシステムなのです・・・。

Sunday Jun 21, 2020
『父親へのエール』大倉 信 師
Sunday Jun 21, 2020
Sunday Jun 21, 2020
22年前、アメリカに来て驚いたのはこちらの牧師達がいつも「家族、家族」と言っているということでした。私は牧師の子として日本で育ちましたが、牧師であった母にとりまして教会が第一であり、その後に家庭が続きました。住んでいる場所も教会ですから、私達の私生活も教会を中心に動きます。これゆえに時に牧師の子が多くの犠牲を払いました。
親達は全き献身者となるべく、家族を犠牲にして伝道牧会に没頭しました。残念なことですが、このことゆえに起きる問題というものを目の当たりにしたこともありました。私自身もその渦中にいたことがあります。
そんな所に生まれ育った者ですから「家族、家族」と言っているこちらの牧師達の姿には違和感を感じていました。「家族」がまさしく「水戸黄門の印籠」のようになっている、それを持ち出せば大抵のことは許されるこの国の土壌に、最初はとまどいを感じました。
しかしながら、興味深いことが日本で起きたのです・・・。

Sunday Jun 14, 2020
『要注意:かたくなな心』大倉 信 師
Sunday Jun 14, 2020
Sunday Jun 14, 2020

Sunday Jun 07, 2020
『人生の主(あるじ)はあなたではない』大倉 信 師
Sunday Jun 07, 2020
Sunday Jun 07, 2020
もし、それまでに会ったこともない人が玄関先に立ち、「おーい大倉、ちょっと出てきてくれー」と手をたたきながら呼ばれ、500円を手渡され、開口一番、「息子が大学受かるようになんとか取り計らってくれよ」とか「病気にならないようにここは一つ、頼むよ」と言われ、言いたいことだけ言って、こちらのことは何も聞かずに「じゃー、あとはよろしく」と去っていくとしたら・・・。親しくもなく、話したこともない人に突然、こんなことを言われ、「なんなんだこの人は」と呆然と立ち尽くしていると数秒後、言い忘れたかのようにその人が戻ってきて、「あ、ごめん、言い忘れた、さっき言ったこと、してくれなければ、もうここには来ないから、よろしく!」と言って立ち去って行ったとしたら・・・。これを「御利益宗教」と呼びます。

Sunday May 31, 2020
『「疫病」と呼ばれた男』大倉 信 師
Sunday May 31, 2020
Sunday May 31, 2020

Sunday May 24, 2020
『決断によって導かれる人生』大倉 信 師
Sunday May 24, 2020
Sunday May 24, 2020
牧師の仕事柄、大切な相談を受けることがあります。それが誰であっても大切な相談を受けるということには責任を感じます。その任に誰が耐えられるだろうかと思います。このことにおいて自らは完全な者ではないということを認識していますが、できる最善をさせていただこうと祈り、願っています。
そのような日々を通りながら、私はある時からあることを心がけるようになりました。それは、その相談者が私の母親の年代の方なら、最初に「あなたを私の母と思って、祈り、考えて私の考えをお話しします」と申し上げます。
そうです、その人の悩みを他人ごとではなく思うためです。他人ごとなら、その人の機嫌を損ねないように、「すべきではないこと」、「続けるべきではないこと」を「いいんじゃないですか」と言ってしまう弱さが自分にあるからです。

Sunday May 17, 2020
『こんな者が何になりましょう』大倉 信 師
Sunday May 17, 2020
Sunday May 17, 2020
誰しも得手不得手があるものです。それは嘆くことではなく、謙遜に受け止めるべきことです。私は音楽を聴くことは大好きなのですが、楽譜を読んだり、楽器を奏でることはからきっしだめなのです。
5、6歳の頃、母は私にエレクトーンを習わせました。ですから、今でもあの時に習った「ちょうちょ」だけは弾けます。問題は当時の私のヒーローは仮面ライダーであり、仮面ライダーのベルトを腰に巻いて野山で遊ぶことのほうが圧倒的にエレクトーンの鍵盤に向き合うよりも私には魅力的であり、私はエレクトーンに背を向けたのです・・・。

Sunday May 10, 2020
『弱いからこそ強い』大倉 信 師
Sunday May 10, 2020
Sunday May 10, 2020
これまで私の人生に出会ってくださった方達、ごめんなさい。正直申し上げなければなりませんが、私はこれまで本当に強いという人に一度も出会ったことはありません。本当に強い人を思い起こそうと思っても、誰の顔も思い浮かばないのです。(言うまでもなく、その中に当然、私もおりません)。
私達は度々、「強くなります」とか「強い人になってください」と言いますが、はたして本当に強い人など、この世界にいるのでしょうか。
「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」と聖書は私達に語りかけます。人生、後半に向かうにあたり、日毎にこの言葉に心が惹かれていく自分がいます・・・。