Episodes

Sunday Jan 17, 2021
『人の分際を知る』大倉 信 牧師
Sunday Jan 17, 2021
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Sunday Jan 10, 2021
『リアリストであり、信仰者』大倉 信 牧師
Sunday Jan 10, 2021
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Sunday Jan 03, 2021
『今こそ、座って考える時』大倉 信 牧師
Sunday Jan 03, 2021
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Sunday Dec 27, 2020
『主よ、私と共に年を越してください』大倉 信 牧師
Sunday Dec 27, 2020
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Sunday Dec 20, 2020
『Why Christmas? なぜクリスマス?』本多一米 師
Sunday Dec 20, 2020
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Sunday Dec 13, 2020
『「乳飲子」として生まれる意味』大倉 信 牧師
Sunday Dec 13, 2020
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Sunday Dec 06, 2020
『クリスマスはチキンとローソクか?』大倉 信 牧師
Sunday Dec 06, 2020
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Sunday Nov 29, 2020
『恐れるな、ここに愛がある!』大倉 信 牧師
Sunday Nov 29, 2020
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私達は神様が恵み深いお方であり、愛に満ちているお方であることを知っています。しかし、私達には忘れてはならないことがあります。それは、このお方は義なるお方であるということです。義なるお方ということは、不正をないがしろにせず、それに対して裁き、ジャッジをなさるお方であるということです。不正に対して激しく怒るお方であるということです。このことにおいて神は私達が恐れるべきお方なのです。
時に神は怒ります。私達はその神の怒りの矛先に立つことだけは避けなければなりません。それこそが私達が最も恐れるべきことなのです。主イエスはその恐ろしさについて、かつてこう言われました。
『また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい』(マタイ10章28節)
このイエス様の言葉は私達に大切なことを気がつかせてくれます。そうです、このことは私達が恐れるべきお方は神であることを私達に語りかけ、それ以外の者に対する過剰な恐れはいらないということを暗示しています。神を本当に恐れる時に、その他の諸々の恐れから私達は解放されるのです。本当に恐れるべきものを正しく恐れる、この世界を生きるにあたり、私達がこのことを知ることはとても大切です。

Sunday Nov 22, 2020
『心の姿勢の大切さ』大倉 信 牧師
Sunday Nov 22, 2020
Sunday Nov 22, 2020
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飛行機に搭乗し、しばらくしますとフライト・アテンダントが飲み物を積んだカートを押しながらやってきます。私達は「コーヒー」なり「ジンジャーエール」なり、自分が飲みたい飲み物を告げ、それをいただきます。そうこうしているうちに日本行きの国際線ですと食事が配られ、「和食」か「洋食」かと聞かれ、私達はどちらかを選択します。隣の人が自分と違うものを選ぶと、ちょっと気になり、横をチラッと見ます。時に「あー、あっちがよかった」とため息をつきます。でも仕方ありません、自分で決断したことなのですから。
神様は私達に自由な意思を与えられましたゆえに、私達は何を食べようかということを自ら決める自由が与えられています。たとえ機内食の選択を間違えても、到着した国でおいしいものを食べればいいでしょう。しかし、これが私達の人生の分かれ目に立つような決断となるなら話は別です。
私達はこれまで数えきれないほどの決断をしてきました。そして、その決断は私達の人生に大きな影響を与えてきました。そして、その決断ゆえに導かれてきたのが、今朝の私達なのです・・・。

Sunday Nov 15, 2020
『希望を語る前に、絶望について語ろう』大倉 信 牧師
Sunday Nov 15, 2020
Sunday Nov 15, 2020
神の前に「私達は主が仰せられたことをみな、従順に行います」と誓い、神との契約を結んだイスラエルの民は、時経ずして、心を翻し、自分達に先立つ偶像を求めました。
彼らは神を知らない者達ではありません。彼らをエジプトから救い出し、紅海をわたらせ、日毎にマナを与えてくださった存在を彼らは知っていました。しかし、彼らはいとも簡単に、その神に変わって、自分達の先頭に立ってくれる偶像を望んだのです。
その彼らの望みは大祭司アロンに伝えられました。アロンはモーセの右腕であり、畏れるべきお方を知っていた人です。しかし、アロンは民の願いを聞き入れ、彼らのために金の子牛を作り、彼らの前に置いたのです。そして、彼らはその前で熱狂したのです。
神を知っている者達が、いとも簡単に金の子牛を慕い求め、その置物に神に向けるのと等しい思いを託したということ、「ノー」と言うべきことを託されている者が「ノー」と言わなかったこと、これらのことを「絶望」と呼ばずに何と言いましょう。