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Sunday Aug 26, 2018
『神を遠くに感じる時』大倉 信 師
Sunday Aug 26, 2018
Sunday Aug 26, 2018
私たちが現実の世界を見ます時に「なぜ、自分や家族、あるいは親しい友にこんなに辛く悲しいことが起きるのだろうか」という事に向き合うことがあります。
ヨブ記の主人公、ヨブもそのような境遇に置かれました。聖書によると、彼の人となりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかっていました(ヨブ1章1節)。そんなヨブは、ある日を境に全てのものを失いました。すなわち、彼の豊かに祝されていた全ての財産、彼の10人の子供達、妻との信頼関係、そして果てには、彼は自分の健康をも損ない、これらと共に、それまでの自分の名声をも全て失いました。信仰深く、人々から一目置かれる素晴らしい人格も備えていたであろう、このヨブにこのようなことが起きたということを私達はどう受け止めればいいのでしょうか。
「神様が遠くに感じられる」。こんなことを感じた方、いないでしょうか。もしかしたら、今、そう感じている方がいるかもしれません。今日はこれらのことに対して幾つかのことを見ていきたいと思うのです。
Sunday Aug 19, 2018
『神との友情を育む』大倉 信 師
Sunday Aug 19, 2018
Sunday Aug 19, 2018
イエス・キリストはかつて言われました。
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」(マタイ9章12節)。
キリストは「私は病人のために来た」と言われました。でも、私達は思いませんか、この言葉をそのまま受けとると、そうなのか、この世界には「病人」と「健常者」と二種類の人間がいるのかと。そして、大抵、私達は自分は健やかな者なのだと思うのです。
肉体的であれ、精神的であれ、病んでいる人と向き合う医師達が口を揃えていうことは、患者が自分は病んでいるのだということに気がつく、自分には治療が必要なのだということを自覚するところから治療は始まるということです。
「そんなことは当たり前だ」と私達は思いますが、けっこうこのことに気がつかない、自覚しない、いや、確かに病んでいても医師に会おうとしない人はたくさんいるのです。そして、当然、その間に病状はさらに悪くなってしまうのです。
もちろん、イエス様が言われている病人とは私達の肉体的な病を指しているのではありません。ここで主イエスが言わんとしていることは、たとえばこういうことです。「あいつには問題がある。こいつにも問題がある。あいつにもこいつにも、教えられなければならないことがある。指摘されて、直さなければならないものがあるのだ。でも、俺にはそのようなものはなく、自分の判断や、言動はきわめて全うなものだ」
確かに人は自己診断において自分は病人ではないと思うかもしれない。しかし、神の前に人は誰でも指摘されること、直さなければならないものがあるとイエス様はここで言っているのです。
Sunday Aug 12, 2018
『私の友だから知らせよう』大倉 信 師
Sunday Aug 12, 2018
Sunday Aug 12, 2018
50年ほどの自分の人生を振り返り、また牧師として多くの方達の人生と接する機会が与えられている中で、気がつかされていることがあります。それは私達がその人生の中でなす「決断」の大切さということです。
誰もが毎日、何かしらの決断をします。「決断」と言いますと大げさに聞こえるかもしれませんが、今日はどの靴をはこうかと考え、一つの靴を選ぶというこも、ある意味、私達の決断でありましょう。
靴を選ぶことは重大なことではありませんが、私達が日々成す決断により、物事が動きます。その物事が動くことにより、私達はある所に導かれていきます。そんな決断を無数にして、今、現在、行きついてるのが今朝の私達です。そうです、私達は多くの決断に導かれて、今、ここにあるのです。そして、この私達の決断により、これからの私達の人生も導かれていくのです・・・。
Sunday Aug 05, 2018
『成長し続けるために』大倉 信 師
Sunday Aug 05, 2018
Sunday Aug 05, 2018
種から芽が出て、やがて実が実るということを考えてみましょう。私の家では生ごみをコンテイナーに入れて、それを肥やしにして用いています。今年の春、そんな肥料を土に混ぜて苗や種を植えたのですが、それらの苗や種よりも力強く、生ごみとして捨てていたカボチャの種が芽を出し、今、大きなカボチャが実りつつあります。
自然界には神様が定められた法則というものがありまして、私達はこの法則にのっとって動いています。そして、それは私達の生き方というものにも当てはまるのです。その法則とは「よい土壌に蒔かれた種はやがておのずと芽を出し、実を実らせる」ということです。この法則にのっとって、このカボチャの種は芽を出し、実を実らせました。
そうです、私達が注目すべきことは、その種がどんな土壌に蒔かれたかということです。その土壌に十分な養分があるのなら、その植物は育ちます。しかし、そうでないなら、どんなに良い種を蒔いたり、苗を植えて、毎日、欠かさずに水を注いでも育つことがありません。まず肝心なことは土壌です。これは蒔く、植える前の成長の大前提です。