Episodes
Sunday Jun 24, 2018
『あなたの動機は何ですか?』大倉 信 師
Sunday Jun 24, 2018
Sunday Jun 24, 2018
アメリカにいて、もしかしたらいつか居合わせることがあるのではないかと恐れていることがあります。それはどこかで強盗と鉢合わせになるということです。もう、このようなことは大きなニュースにならないほどに、このサンディエゴでも時々、この事件は起きています。自分がよく行く銀行とか、自分が立ち寄っているコンビニエンスストアに強盗が入ったということは珍しい話ではありません。
思うのです。いつか銀行のデスクで必要なことを書きこんでいる時に、目の前の窓口で銃を突きつけてお金を奪おうとしている強盗に遭遇することがあるかもしれないと。言うまでもなく、その時の原則は強盗が望むものを全て渡すことです。もちろん、渡す理由はないし、渡したくないものです。しかし、渡します。なぜなら私には銃口が向けられているからです。銃口を向けられて恐れを感じない人はいないでしょう。恐れは私達が願っていない言動へと私達を駆り立てます。そして、その恐れは銃口を向けられるというようなことだけではありません。
人の目を恐れる人がいます。人にどう思われているかを恐れるのです。その恐れがその人の言動をコントロールします。本当はしたくないことなのに、本当の自分はそのような自分ではないのに、人の目を恐れて心にないことを言ったり、したりします。
イエス様は度々、出会う人に言いました、「恐れるな」。どんなに装ってみても、神の目に人は恐れを持つ者と見えました。恐れは確かに私達を動かす動機です。
Sunday Jun 17, 2018
『あなたは偶然の産物ではない』大倉 信 師
Sunday Jun 17, 2018
Sunday Jun 17, 2018
もし、父親が自分の子供に「お前が生まれたのはたまたま偶然だったんだよ。そもそもお前の母さんと父さんが出会って結ばれたのも、あたりはずれのあるくじ引きのようなものだったんだ。いいか、お前の人生は全て運にかかっている。だからとにかうラッキーな人生を送ることができるようにと父さんは願っているよ」と子供に言い続け、またそのような価値観に基づいた生活を子供に見せ続けたとしたら、その子の人生はどうなるでしょうか。
きっと、その人生はこのようになる可能性が高いと思われます。偶然なのだから、それはギャンブルのようなものであり、そこには意味などはなく、故に万事、別にたいしたことがないのだから、努力するのも無駄、飽きたから、面倒になったから、もうこんなことは止めて、もっと楽な事、気持ちのいいことをしよう。言うまでもなく、このような生き方から良きものが生まれるはずはありません。
意識してこう考えて生きている人はあまりいないと思いますが、無意識の内に、心の底にこのような思いがあるのなら、今、お話したようなことが起きないと誰が言えましょう。いいえ、実際に今日の世界では、この全ては偶然という価値観から生じる人間の姿というものをいたるところで見ることができるのです。
Sunday Jun 10, 2018
『私達に意味を与える神』大倉 信 師
Sunday Jun 10, 2018
Sunday Jun 10, 2018
かつてノースイースタン・イリノイ大学の哲学教授であったヒュー・ムアヘッド博士( Dr. Hugh Moorhead )は世界中の著名な哲学者、科学者、作家、そして知識人ら250人に手紙を書き、次のような質問をしました「人生の意味とは何でしょうか」。
そして、彼らの答えを一冊の本にまとめました。ある人は、その人なりの最善の見解を提供し、ある人は思いつきに頼らざるを得なかったことを認め、またある人は正直に全く見当もつかないと答えました。さらには多くの知識人たちがムアヘッド教授に対して、「もし人生の目的が分かったら教えて欲しい」という返事を書いてきたというのです。
誰も扇風機をモーターボートのエンジンにする人はいません。頭をとかすブラシで床をはく人はいません。バスタブの中で魚を飼う人はいません。これらのものにはしかるべき意味と目的があるように、私達の人生にも既に与えられている意味と目的があるのです。
Sunday Jun 03, 2018
『最後に伝えておくべきこと』大倉 信 師
Sunday Jun 03, 2018
Sunday Jun 03, 2018
今日も私達はここから出て行きます。かつてイエス様は弟子達を二人づづ、町に送り出す時に言われました。「わたしがあなたがたを遣わすのは、小羊を狼の中に送るようなものである」(ルカ10章3節)。確かに小羊が子羊だけで出て行くのは危険、極まりないことです。しかし、私達には牧者がともにおられる。主イエスは私達の牧者です。この主と共にある限り、我らは狼を恐れる必要はありません。たとえ死の陰の谷を越えるようなことがありましても、私達は恐れません。このお方が共にいるのですから。このお方は私達を緑の牧場に伏させ、憩いのみぎわにともなってくださるお方なのです。