『宗教に生きるのではない』大倉 信 師

April 29, 2018

最近、私はよく教会の床に置かれているものに目を留めるようになりました。けっこう皆さん、手荷物が多いようで教会のフロアーには色々なものが置かれることがあります。そんなバッグとか、誰かが落としたごみ、なぜそこにあるのか分からない段ボール、私はまだ年齢的にそれらにつまづくことはありませんが、ご高齢の方達にとりまして、それらはとても危険なものです。1センチの段差も危ないのです。ですから、それらのものが少しでも行く手をはばむようであるのなら、そのことが起きる前に、それをどかしたり、テーブルや椅子の上に、その方達が安心して歩くことができるようにします。そうです、つまづいて怪我をする前に、それをのけるのです。つまづきを防ぐために一番、効力があるのは、そのつまづきの可能性を予め排除することです。

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『心を自由に保つ』大倉 信 師

April 22, 2018

クリスチャンになるということは、融通のきかない四角定規の人間になるということではないのです。

神から与えられている自由を存分に用いる者となるということなのです。

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『アメリカに住む日本人として 』大倉 信 師

April 15, 2018

このローマ書13章を読む時に、ある方は「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである」と書かれているのだから、全ての権威に服従しなければならないと思われるかもしれません。確かにこの言葉はいかなる権威も神の権威によって存在しているのだから、その権威に従いなさいと言っているように思えます。しかし、こうなると色々な疑問がわいてきます。あのヒットラーが台頭したナチス・ドイツはどうなるのか。第二次大戦中に天皇が神格化され、信仰の自由が失われた、あの時の日本はどうなのか。

もし、明日からアメリカ合衆国が私達の信仰というものを制限してきたらどうするのか。神の権威のもとに許されて存在しているアメリカ合衆国なのだから、その権威に全て従うべきなのか。国が要求するのなら、私達の信仰も妥協していくのか。それが聖書が言っていることなのでしょうか・・・。

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『生ける望み』【1 ペテロ1:3-7】大川 道雄 師

April 8, 2018

イエス キリストの復活を祝うイースター(復活祭)が終わりました。キリストの復活によって全てが変わりました。人はみなだれも希望(のぞみ)を持っていますが、でもそれは死んだらおしまい的なものです。聖書はわざわざ「生きた希望」といっています。

どうぞ、聖書のメッセージに耳を傾けて下さい。人は「望み」があれば生きて生けるのですから。キリストの復活は、信じるものに永遠の命、天国という「生きた望み」を提供します。イエス キリストがその見本です。これしか、私たち人間の生きる道はありません。私は12歳の時にそれを発見し、体験し、今日まで実感してきました。

キリストはこう言っています:「私は道であり、真理であり、命です」(ヨハネ14の6) この経験は、信じた今から始まります。酒を飲んだら人が変わる」とよく言われますが、キリストを信じる者は、聖霊によって新しく造り変えられ、神と共に歩み、永遠の希望に取り付かれ、永遠の命という路線を歩み始めます。

<聖霊の結ぶ実>は愛です。神の愛です。愛とは生き生きとした命のことです。ですから、人は死んでもよみがえるのです。神は地球を造ったように、天国を造り、準備しています。そのことは人の心の中から始まります。ハレルヤ!

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イースター礼拝 『その時には完全に知るであろう』大倉 信 師

April 1, 2018

*録音の不具合により雑音が入っています、ご了承ください。

今は分かりませんがかつて日本の銀行は午後三時で閉店しました。そしてシャッターが閉まった銀行の中ではその日に取引きされた金銭が銀行員によって整理されているのだと聞いたことがあります。そうです、インターネットやカード決済がない時代、銀行のシャッターが閉まり、職員だけとなった銀行では、その日に預けられた現金が計算され、その日の取引きが帳面に記録されるのでしょう。でも、もしその最後に370円足りなかったら、それがピタリと合うまで帰宅することができない。そんな時に自分の財布の中から370円を足して早く帰ることがあるんだよなんて聞いたことがありますが、きっと、そんなことはないでしょう。あちこちを調べ、その足りない370円を見つけ出し、それらが加えられて、その日の帳簿の帳尻は合い、職員は安心して帰宅できるのです。

時に私達の人生の帳簿も私達の計算と合わないことがあります。このようなことは誰の人生にも一つや二つ、あるものです。そして、その時に私達は神を疑い、また神にたてつく事すらあります。しかし、私達は忘れていることがあります。この人生の帳尻は自分で合わせるのではなくて、それは私達の人生の営業時間が終わった後に神がその帳尻を合わせてくださるということです。そして、いつの日かその合わせられた帳尻を前に、私達は神をほめたたえる日が必ず来るというのが聖書の約束なのです。

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