『裏切られた同じ夜…』大倉 信 師

March 25, 2018

私たちにとって自分によくしてくれる人を好んだり、愛することはたやすいことです。害なく、悩まされず、益をもたらしてくれる人を受け入れることもたやすいことでしょう。

私達がしばしば使います「I love you」とか「I like you」という言葉はこのような人達に向かって語られます。そうです、これらの言葉は私達がその人の内に、その人を好きになるために値するもの、その人を愛するために値するものを、見出しているゆえに発せられるのです。しかし、自分を裏切る者、自分に敵対する者に対して、その愛を全うすることは至難の業です。いいえ、至難の業というより不可能であります・・・。

00:0000:00

『神のはたらかれるスペースを確保する 』大倉 信 師

March 18, 2018

皆さんは「誰かに嫌な思いをさせられた時、実際に何かの攻撃を受け、それによって被害を受けた時どうしますか」。

これらのことに対して色々な対応があるのでしょうが、三つ、挙げてみました。

1 やりかえす。仕返しをする。

2 とにかく忍耐、我慢する。

3 全てを神に委ねる。

さぁ、あなたならどうしますか?

00:0000:00

『神のあわれみによる勧め』大倉 信 師

March 11, 2018

私達日本人はあの第二次世大戦で「神」ということについて、負の遺産を持っています。その時に「天皇は神である」ということから「天皇は人間であった」という価値観が一日の内に全くひっくり返る経験をしていますから、「神」という言葉に対して強い警戒心があります。

以来、神は真剣にとらえるものではなくて、あまり深入りしないほうがいいという心理があります。何人もの人から聞いたことがあります。「最近、教会に行っているの」と親に打ち明けたら、「ためになる教えもあるだろうけれど、あまり深入りはするな」と言われたと。かといって私達は神の存在を人生から全く排除することもできずに(内心、恐れがありますから)、困った時の神頼み、必要な時の神頼み、一応、年に数回、義理を果たして、お参りしたりします。

ほどほどに義理を果たさなければならないという程度の神ならば、その言葉に従うことはありませんでしょう。それよりも自分で好きなように生きていって、苦しい時にだけ「頼みますよ」と言っていたほうが気楽でありましょう。気楽であるということは、私達が思う以上に私達がとても大切にしていることなのです・・・。

00:0000:00

『神に喜ばれ、自分も喜ぶ』大倉 信 師

March 4, 2018

クリスチャンになるということは「歯をくいしばり、きよく正しく人生を生きること」、「聖書に書かれている様々な掟を一生懸命に努力して守っていくこと」というようなイメージをもっている方達がいるかもしれません。もし、それがクリスチャン・ライフであるなら、私はおそらくクリスチャンにはならなかったでしょうし、ましてや牧師になどなってはいないでしょう。私にはクリスチャンも牧師も務まりません。

いったい、どうしてこのようなイメージが伝えられるようになったのでしょうか。キリスト教は禁欲的なものであり、クリスチャンになった日から一切、楽しみとは決別しないといけないというようなメッセージが過去に刷り込まれてしまったのかもしれません。これはとても残念なことです。なぜなら、クリスチャンになるということは退屈なことではなく、それまで見える、聞こえるというようなことだけで楽しい、悲しいと言っていた平面的な人生に高さ、深さ、広さが加わり、違った視点で(言いますのなら神の視点で)自分の人生を見つめ、そこに生きることができるからです。それは人生というものを二倍、経験しているようなもので、この楽しみと喜びは決して小さいものではありません。

00:0000:00