『あなたの体について』大倉 信 師

February 25, 2018

私達はクリスチャンであるゆえに霊的な事に関心を寄せます。しかし、霊的なことだけに目を向け、人は同時に肉体をも有しているのだということに心の目が閉ざされてしまうことがあるのではないかと思うことがあります。

時に私達は「あの魂をお救いください」とか「失われた魂のために」というように「人間」を見ないでその「魂」だけを見、「これだけの魂が救われました」。「魂を勝ち取りました」というようなことで一喜一憂をしているようなところがあるのかもしれません。

我々は「魂の塊」なのではなくて「肉体」をもつ神にかたどって作られた多くの過ちを犯す者、喜びで心満たされる者、健康を損なってしまう者、時には塞ぎこんでしまう、そんな毎日を送っている「人間」なのです。

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『神の測りがたい知恵』大倉 信 師

February 18, 2018

私達は思います。クリスチャンだといったって世界の現実を見てみろ。もはや、そこにはクリスチャンが何を叫んでも届かないような大きな力があるではないか。周りを見回してもあまりクリスチャンはいないではないか。

このことは日本で暮らしていると特に実感します。学校の教室を見渡しても自分以外には誰もクリスチャンはいない。いいや、それはクラスだけではなく、学校の中に一人もクリスチャンがいない。職場においても同じ。近所においてもそう。統計に従うなら都会では100人に尋ねてやっと一人のクリスチャンに出会い、田舎においては1000人、2000人に一人というような確率であります。

信仰生活においてこのような現実の中に生きるということは大きなチャレンジをともないます。しかし、このような現実こそが聖書の世界で繰り広げられてきたことであり、このような状況の背後には神様の大きな御計画があるのです。

聖書を読んでいますと分かるのですが、聖書は一貫して「数が少ない」ということが敗北だとは言っていないのです。かえって少ない者達、力のない者達が勝利を得ていくというのが聖書の根底にあるメッセージなのです。私達は物事の全貌をつかむことができませんから、時に多い、少ないということで一喜一憂しますが、神様はそのような視点でこの世界を見てはいないのだということを私達は心にとめなければなりません。

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『私達、そしてユダヤ人の救い』大倉 信 師

February 11, 2018

戦後、日本の北陸伝道に赴いたアメリカ人宣教師は、自らが日本で過ごした半世紀の日々をこう語っています。「日本人がご飯の上に生卵をかけて、納豆を食べていることに驚きました。私の国では卵はスクランブルエッグで食べるもので、腐った豆を食べる習慣もありません。最初はこれらの日本の食事に驚き、勇気をもって口には入れたもの、慣れなくて身体を壊しました・・・。でも、今、私は卵かけご飯も納豆も大好きです」。

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『神の熱心と私達の信仰によって』大倉 信 師

February 4, 2018

「熱心になる」ということは「自分がもっているものに強い確信」があるということであり、その自分がもっているものこそが圧倒的に優れていると考える傾向がありますので、人はそれぞれ違った考えを持っているとか、皆、それぞれが自分の置かれた状況の中を生きているといったことを忘れて、ただ自分の主義や信念だけを主張し、強引にそれを貫こうとします。

爆弾を体に巻きつけて自爆する過激な者達は、それによって犠牲となる人達の命、その人にも家族がいるというようなことを考えません。彼らは自分が信じていることにあまりにも熱心だからです。

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