『忘れよう、忘れまい』大倉 信 師

December 31, 2017

自分の人生の年月を考えますのなら、私は生まれてからこの方、この命と共に 49年、生かされてきました。それは17785日です。17785日、私の心臓は数秒たりとも止まることなく動き続けてきました。その間に私は何本の箸や歯ブラシを使い古したことでしょうか。しかし、私の心臓は生まれた日から変わらずに動いています。

ここにいらっしゃる多くの皆さんの人生はこの日数以上でしょう。その中には色々なことがあったでしょう。もう、万事休すというようなことが何度もあったことでしょう。私の愛唱歌は「人生の海の嵐に」ですという方が何人もいるでしょう。そんな皆さんに誰も否定できない事実を申し上げます。それらの幾多の嵐を乗り越えて、それに飲まれ失われることがなかったから、皆さんは今、ここにいるのです。

確かに私の17785日の中にはたとえば述べ243日くらい眠れない日があったり、50日くらい涙を流した日々があったかと思います。しかし、そんな日々がありながらも、17785日、私は生きながらえてきたのです。自分が眠れなかった243日、涙を流した50日だけに心を奪われてはいけない。そこに住み着いてはならない。そうではなくて、それらをはるかに勝る日々、神の恵みとあわれみは私達に注がれ続けていたことを決して、決して忘れてはならない。なぜなら、それが私達が明日を生きる力の源だからです。

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『人生という冒険のただ中にある方々へ』大倉 信 師

December 24, 2017

「アドベンチャー」は「アドベント」が語源となっていると言われていますが、これらのことを思いますときに、実際にヨセフとマリア、そして幼子イエスを取り巻く世界は、のんびりと平安に包まれているような私たちが普段、見慣れているクリスマスカードのような環境ではなかったように思われます。まさしく、そこには彼らを飲み込もうとする闇の力が彼らをおおい、そこから逃れるために、まさしく綱渡りのようにして、彼らは命がけの冒険をしたのです。

神がイエスの人生を託した親として選んだカップルは、まだ年若く、社会的には何の力もないヨセフとマリアであり、その誕生の場所として選ばれたのは小さな寒村、ベツレヘム、わが子の出産と引き代えにその命を失った母の涙と無念が今も残る村、貧困にあえぎ、出稼ぎに行き、そのところで夫と息子を亡くした女性達が落穂を拾いながら生きた村でした。明らかに人として、リーダーとしてバランスを欠いた狂気を宿す王のもとに、その彼の面子のためにもみくちゃにされながら、イエス・キリストは人として一番無防備な赤ん坊としてこの世に誕生したのです。これらのことは何を物語っているのでしょうか。

これらのことは私達が生きている、この地上の冒険に自らも身を置き、そこに自らも冒険者として生きるイエス・キリストの覚悟です。このご自身の出生についてイエス様は何も語ってはいませんが、この出生そのものが、私達に対する大切なメッセージなのです。

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『イエス様と私達の間に壁はない』大倉 信 師 (Bilingual Message “There Is No Wall Between Us and Jesus”)

December 18, 2017

ユダヤ人は私達には想像ができないほどに系図を大切にする人達です。祖先がどんなに偉大であったかということを誇りとし、日々を生きる希望としている民です。そのような中でイエス・キリストはごまかしてでも隠しておきたい名前が連なる系図の中に自らの出生を置くことをよしとされました。そう、イエス・キリストは遊女であった者、異教徒であった者、姦淫の結果、生まれた者の家系に連なる者としてお生まれになったのです。このことは何を意味しているのでしょうか・・・。

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『平和の君』大倉 信 師 (Bilingual Message “Prince of Peace”)

December 10, 2017

80年代、私はテネシー州の片田舎のキャンパスにいました。周りには牛と馬ばかりがいるような所で、私の楽しみは校内にあるスチューデンドセンターで友達をつかまえては卓球とビリヤードをすることで、そこに設置されたテレビからは一日中、MTVが流れていました(いつもそこに入り浸っていましたので、私は80年代のアメリカンポップだけは全て聞き尽くしたと思います)。その時にほぼ毎日、私の耳に聞こえてきた曲は、既にその時にポップスターとなっていましたマドンナの「ライク・ア・バージン」や「マテリアル・ガール」でした。

そのマドンナに今から10年ほど前、ある女性キャスターがインタビューをし、色々な質問を投げかけました。一つ一つの質問に答えたマドンナに対して、最後にこんな質問が投げかけられました「これが最後の質問です。あなたは大成功を収めています。富も、美貌も、名声もすべて手に入れています。これ以上、何か欲しいものがありますか」この質問はマドンナにとって予想外だったようで、マドンナはしばらく考えた後にこう言いました・・・。「ピース・オブ・マインド」。

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『私達が今、生きている世界とは?』大倉 信 師

December 3, 2017

先日、牧師会でテキサスの教会で起きた銃撃事件のことを話し合いました。「なぜ、あんなことが・・・」あのようなことが教会で起きるなんて「神はいるのか」。必ず、出てくる言葉です。人間はこれからどうなっていくのだ。この世の中はどうなっているのだ。こんなことは今まではなかったのだと私達は思うのです。しかし、聖書を読めば分かります。このようなことをこれまでもしてきたのが人間であり、これからも人間は同じようなことをし続けるのです。テキサスで起きたことは前代未聞のことではなく、あのようなことは人類が始まって以来、いつもあるのです。昔と今の違いは、かつては心にある怒りを人は石を拾って怒りの矛先に投げていました。棒を拾ってそれを振り上げていました。その人の手に今日はライフルがあるということです。ただその違いです。人の心は昔も今も何ら変わらず、この事実故にこれからも私達の間からうめきがなくなることはないのです。

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