『あなたはわが子、そのことが嬉しい!』大倉 信 師

November 26, 2017

我が子おもちゃのシャベルを使いながら砂山を作っています。一生懸命、それに没頭しているのですが、時々、何かを思い出したように顔を挙げて、周りを見回します。そう、彼は父親を探しているのです。そして、父親と目が合うと安心してまた砂山作りに没頭します。そう、彼は父の眼差しの中に自分はいるのだと確認し、それが分かると何も心配しないでまた遊びます。

砂場に飽きると遊具で遊び始めます。しかし、そこは他の子供達も遊ぶ場であり、色々なチャレンジがあります。時にブランコの取り合いがなされ、その戦いに破れますと、唇をかみして今にも泣きだしそうです。そして、また周りを見回します。何を探しているのでしょうか。そうです、父です。そして、父を認めるといよいよ我慢していた涙が頬を流れ落ち、そこに走り寄ります。彼が歩み寄る前に私もその子の元に駆け寄り、息子を思いきり抱きしめるのです。

皆さん、クリスチャンライフは砂場で遊ぶこの子供のようなものです。彼はそこで思い思いに自由に遊んでいました。なぜ、彼は何も心配なく自由に遊べたのか、なぜなら、すぐ側のベンチでは父親がその子を優しく見つめていたからです。そして、彼が痛い思いをした時、彼は涙をためながら、はばかることなく彼の「ダディ」に近づいたのです。そして、ダディは彼を抱きしめたのです。

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『感謝の根本を変える』大倉 信 師

November 19, 2017

今日、私達は見えるものによって支配されて生きています。昨日、一日を振り返ってみてください。私達は何によって喜び、悲しみ、笑い、また怒りましたか。その多くは私達が見聞きしたものです。このことは私達の家庭でも教会でも職場でも私達が行く先々どこであっても私達が日々、直面することなのです。

学校の合格発表で自分の名前を見つけた時、目の前に無理やり割り込んでくる車を見る時、カーテンを開くとどしゃぶりの雨であるような時、子供が自分の願うような服装をしていないような時、私達の心は何を感じているでしょうか。

そこで、今日、このサンクスギビング礼拝において注目したいことは、目に見えるものだけに反応して感謝をするなということです。すなわち、私達にはもう一つの世界があり、その見えない世界で起きていることに感謝する生き方というものに私達の生き方をシフトしていこうということをお話ししたいのです。そうです、それはすなわち今日のタイトルにありますように「私達の感謝の根本を変える」ということです。

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『聖霊の助けを見過ごさない』 大倉 信 師

November 12, 2017

もし皆さんが愛する家族とこの世で最後の食事をする時、何をその食卓で語りますか。言うまでもなく、その場は彼らに直接、語ることができる最後のチャンスなのですから、どうでもいいことは話しませんし、どうしても彼らに伝えたいことを語るでしょう。そのような場面がイエス・キリストの生涯にもありました。

そうです、イエス・キリストが十字架にかかる前夜、弟子達と最後の食事をした時のことです。そう、私達が俗に言います「最後の晩餐」の食卓の席です。ご存知ですか、イエス様が弟子達と引き離される直前、イエス様はその食卓で四度、繰り返しある約束を彼らに語ったのです・・・。

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『聖霊を意識して生きる』 大倉 信 師 (日英両語 Bilingual Message “Being Aware of The Holy Spirit”)

November 5, 2017

イエス様のことを偉大な教師、あるいは世界有数の宗教家の一人として片づけてしまう人々がいます。しかし「約束」という面でイエスの言葉と他の宗教家、哲学者のリーダーを比較してみると興味深いことが分かります。たとえば、仏教の開祖、釈迦はその最期の時に、弟子達に別れを告げて「自らを灯とせよ」と言いました。ソクラテスが毒杯を仰ごうとした時には、弟子の一人が自分達は孤児になってしまうと嘆いた。世界の宗教や哲学の指導者は、自分が彼らを離れて行く時、自分は決して彼らと離れないと約束することがありませんでした。

しかし、興味深いことにイエス様は、たとえ弟子達の前を去らねばならなくなっても、彼らを置き去りにしませんでした。イエス様はヨハネ14章18節において「私はあなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻ってくるのです」と言われました・・・。

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