『新しい契約を心に刻む』 大倉 信 師

August 27, 2017

「法律」とは人間がこの複雑な社会にあって自らを律するために自分達で作ったものでありまして、この米国も日本もこの法律が国を治める法治国家であります。この法のもとに大統領も一般市民も置かれています。しかし、しばしばこの法は破られます。

法律に似た者として誓約というものがあります。国に対する誓約、結婚の誓約、そして大統領就任式における誓約。結婚と大統領就任式に関して言えば、その制約は人間に向けてなされるのではなく神の前になされるものです。しかし、人はこの誓約をも守ることができません。

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『裁くことから解放されたい』 大倉 信 師

August 20, 2017

ヨハネによる福音書4章にはイエスがサマリアのスカルの井戸で一人の女に出会ったことが記録されています。二人の間に会話がなされ、この女について一つのことが明らかになりました。それは「彼女にはかつて5人の夫がいたが、今、共にいるのは正式な自分の夫ではない」ということでした。

このような話を聞くと、私達は色々なことを想像します。ある人はこの女性に対して「なんとルーズな人なのか」とか「なんと飽きっぽいのか」と思われるかもしれません。そして、このような場合、人が考えるイメージは決していいものではありません。

しかし、私達は一つのことを忘れています。それは、この女性に対して私達が知っていることは「かつて彼女には五人の夫がいて、イエスと出会った時には別の男性と暮らしている」ということだけなのです。その女の名前すら聖書は記録しておらず、その女の生まれはどこで、どんな親に育てられ、五人の男達はどんな者達であったのか、子供はいるのか、今、付き合っている男とはどんないきさつがあったのか、これらのことについては何も私達は知りません。しかし、私たちは「かつて5人の夫がいて、今は・・・」などと聞くと、鬼の首を取ったかのように「この女は・・・」と断言的なことを言い始めるのです。裁きが始まるのです。私達の評価とかジャッジメントというのはこのような状況でなされているのです。

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『心の闇を自覚する』 大倉 信 師

August 13, 2017

「あの人のレンズはそうとうに汚れているわ。早く気がついて、きれいにしてくれないかしら。自分でしないのなら、私がしてあげるわ・・・」

でも、その前に自分のレンズがきれいなのかを確認することは賢明なことであり、まずはそうすべきでありましょう・・・。まず私達が取り組むべきことは自らの心にある闇の自覚であり、このことから目を背けては、光に照らされて光の中を歩みだすことはできないのです。

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『信仰:神と人との懸け橋』 大倉 信 師 (日英両語 Bilingual Message “Faith: The bridge between God and man”)

August 6, 2017

クリスチャン精神科医の工藤信夫先生はその著書の中で興味深いことを書いています。すなわち、先生は「健全な不信仰というものがあることを私達は知っていていいのではないだろうか」というのです。工藤先生はその著書の中でこう書いているのです「実際、ここに至ってもう語ってもよいと思うので、あえて申し上げるのであるが、私の信仰生活の20年間を支えたものは、あのよく引用される聖書のみことば「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ4:4)などという類のものとは程遠いものであった。

そして、工藤先生は言います「いつも迷っていたし、悩んでいた。そして、その時に私の心にあったのは、はたして神は本当に全ての事態に関与しておられるのだろうか」という問いであった。しかし、今言えることは、こうした神に対する素朴な疑問と探究心こそが、私を神に向かわし、その関係を強固なものとしたということである。いわば、つぶやきや不平が私の信仰を豊かにしたのである(「信仰による人間疎外」いのちのことば社 工藤信夫 )。

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