サンディエゴ日本人教会
『こうして教会は(12):健康な教会であるために』大倉 信 師

『こうして教会は(12):健康な教会であるために』大倉 信 師

September 22, 2019

かつて、あのジョン・F・ケネディーが内外に問題が山積していたアメリカ国民に語りかけた有名な言葉がありますね。「国があなたに何をしてくれるのかを問うのではなくて、あなたがこの国のためにできることをしてください」。

受けることばかりを考え、その権利ばかりを主張するということ、ある意味、それはまだ私達が人間として未熟であることのあらわれでありましょう。イエス様が言われた「受けるより、与えるほうがさいわいである」という、この御言葉の意味を人生の中で一度も知ることなく、私達が死んでいくのなら、私達は人間として、最も大切なことを知らずしてその人生を閉じることを意味しますでしょう。

『神様の愛のチャレンジ』本多 一米 師 Bilingual Message “The Challenge of God’s Love” Pastor Ichibei Honda

『神様の愛のチャレンジ』本多 一米 師 Bilingual Message “The Challenge of God’s Love” Pastor Ichibei Honda

September 15, 2019

神様が私たちに望んでおられる愛にある生き方について、ルカの福音書6章27-36節より本多一米牧師がメッセージを取り次いでくださいました。

『こうして教会は(11): ぶれない軸ゆえの自由 』大倉 信 師

『こうして教会は(11): ぶれない軸ゆえの自由 』大倉 信 師

September 8, 2019

グローバルな時代と言われて久しく、私達のすぐ傍らには言葉も文化も違う人達がいます。地球を存続させるために、この互いの違いというものを克服していくことは全人類のこれからの課題です。

しかし、それに反して、最近の世界の動向はこの違いによる社会や国の分断というものがあちこちで顕著となってきています。もし、このような分断がさらに増えていくのなら、私達はやがて引き裂かれてしまい、互いが大きな害を受けることになるでしょう。

またそれは異なる文化や言語に限らず、同族の家族の中でも私達には各々、考え方や生き方の違いがあります。価値観が異なることもあります。すなわち互いの違いということは私達の生活の中にも存在しているのです。

もし互いの違いに対する理解と敬意がなければ、たとえそれが私達の親族であっても私達は仲たがいしたり、時に彼らは私達の敵となってしまうのです。

そしてそれはアメリカにある教会が置かれている状況も同じです。教会の中にも世代や性別による違いがあり、さらにはまさしく私達の教会にはあらゆる文化と言語、生活拝見を持った方達が集ってきているのです。それゆえに私達の信仰表現にも違いがあるのです。これらのことにどう向き合っていけばいいのか、今日はこのことに着目していきたく願っております。

『こうして教会は(10):食卓を囲む意義』大倉 信 師

『こうして教会は(10):食卓を囲む意義』大倉 信 師

September 1, 2019

かつて一人で島暮らしをしていました時、私の夕食は10分で終わっていました。当時の私の得意料理は「納豆」と「卵ご飯」、そして、「肉野菜炒め」でした。

納豆はあの白いプラスチックカップのまま食卓に並び、肉野菜炒めも、盛りつけなど考えることなくただ皿にのせられ、味つけも醤油だけでした。なぜ10分かといいますと、私が早食いであることと、食べる目的がどちらかというとエネルギー補給に近かったから、ただ口に放り込んでいただけだからです。

今、そんな日々を振り返って思うのです。食事を単なるエネルギー補給としか考えていないと、だんだん心の豊かさが失われていくと。このことは一人で食べる食事であっても改善できることだったなと今は思います。今、食事は極めて精神的なものなのだということに気がつかされています。

『こうして教会は(9):ひたすら一同がしていたこと』大倉 信 師

『こうして教会は(9):ひたすら一同がしていたこと』大倉 信 師

August 25, 2019

以前、「Into the Wild」という映画を観ました。この映画は1992年に一人の青年が放浪の末にアラスカで死体で発見されたという実話をもとにした映画で、アカデミー賞にもノミネートされました。

主人公クリスは裕福な家庭に生まれ、物質的に恵まれた環境で育ち、アトランタにあるエモリ―大学を優秀な成績で卒業します。両親は彼がハーバードのロースクールに進学することを望んでいましたが、金と物ばかりを与えようとする両親に嫌気がさしていたクリスは、学資預金を全額寄付し、真理を求めアラスカへと旅に出ます。

かたちは違いますが、私も20歳の頃のひと夏、アラスカで働いていたことがあります。その状況は異なりますが、何かに対する探求ということに関してはクリスの思いと似たものがあり、かつての自分とクリスの心を重ね合わせながらこの映画を観ました。

この映画の最後にクリスが残した言葉は他人事ではなく、私達に大切なことを語りかけてきます・・・。

『こうして教会は(8):主にある交わりから得るもの』大倉 信 師

『こうして教会は(8):主にある交わりから得るもの』大倉 信 師

August 18, 2019

「心の貧しい人たちはさいわいである。天国は彼らのものである」(マタイ5章3節)

「心のきよい人たちはさいわいである。彼らは神を見るであろう」(マタイ5章8節)

「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」(マタイ12章10節)

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利はどこにあるのか」(1コリント15章55節)

このような私達の常識では理解できない聖書の言葉は机上で思索して知り得るものではないと思うのですが、いかがでしょうか・・・。

それではどうしたらこれらの言葉の真意を知ることができるのでしょう・・・。

『こうして教会は(7): 洗礼について』大倉 信 師

『こうして教会は(7): 洗礼について』大倉 信 師

August 11, 2019

2000年前の初代教会が「悔い改め」と「洗礼」というメッセージに応答した人達によって始まり、形成されていったということ、そして、そのことは今日の私達の教会も何ら変わりがありません。そこで、今日はこの「洗礼」ということについてお話ししたく願っております。

意外に思われるかしれませんが、聖書はイエス・キリストが公生涯を始めるにあたり、バプテスマのヨハネに自分に洗礼を授けるようにと願い、ヨハネから洗礼を受けられたということが聖書には書かれています。

なぜ「意外」と申し上げたかと言いますと、先週、お話ししましたようにイエス様ご自身もヨハネも、またペテロも「悔い改めて、洗礼をうける」ことをメッセージとして勧めてきたのであり、そうなりますとイエス様にも「悔い改めること」、すなわち「罪」があったのかということになります・・・。

『こうして教会は(6): 悔い改めよ』大倉 信 師

『こうして教会は(6): 悔い改めよ』大倉 信 師

August 4, 2019

今日、伝道メッセージが語られる時、このような語りかけがなされることがあります「さぁ、今、あなたの心の扉を開き、あなたの王座にイエス様に座っていただきなさい。あなたの心の扉のノブは外側にはなく、イエス様はそのドアを開けられないのです。そのドアは内側からしか開けられないのです。ですからあなたの手をノブにかけ、扉を開け、イエス様を心にお招きしましょう。その時にあなたは救われます」。

この言葉は大方、正しいことを言っています。なぜなら、この言葉はあのヨハネ黙示録の御言葉を念頭においたものだからです。すなわち聖書が記していることだからです。しかし、一つのことが不足しています・・・。

『永遠の命に至る実 』古山 隆 師

『永遠の命に至る実 』古山 隆 師

July 28, 2019

本日は、ノースカウンティ教会(https://ncjcc.net/)の古山隆先生がヨハネによる福音書4章27節 ー38節よりメッセージを取り次いでくださいました。

『永遠の命に至る水 』古山 隆 師

『永遠の命に至る水 』古山 隆 師

July 21, 2019

本日は、ノースカウンティ教会(https://ncjcc.net/)の古山隆先生がヨハネによる福音書4章1節 ー14節よりメッセージを取り次いでくださいました。